“6のつく年”のクレしん映画なのに怖くない? 『オラの妖怪バケ~ション』妖怪描写を紐解く

クレしん最新作の妖怪描写を紐解く

 『映画クレヨンしんちゃん』は、一部のファンの間で「6のつく年に公開される作品はホラーになる」といわれている。実際、1996年の『映画クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』、2006年の『映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』、2016年の『映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』では、それぞれ異なるかたちで恐怖が描かれてきた。

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 しかし、これらの作品が怖かったのは、単にホラー的なキャラクターが登場したからではない。両親や身近な人、夢といった、本来なら安心できるはずの日常が恐怖へと変わっていくことに、その怖さがあったように思う。

 だからこそ、同じ「6のつく年」に公開され、「妖怪」といういかにも恐ろしげな題材を扱った『映画クレヨンしんちゃん 奇々怪々!オラの妖怪バケ〜ション』(以下、『オラの妖怪バケ〜ション』)にも、過去作のような怖さを期待していた。

「6のつく年」の記憶を持って観ると

 過去の「6のつく年」の作品を振り返ると、その怖さの共通点が見えてくる。『ヘンダーランドの大冒険』では両親が、『伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』では身近な人々が、『爆睡!ユメミーワールド大突撃』では夢が、恐怖へと変わっていった。 

 私が怖いと感じたのは、どの作品でも、最初から「怖いもの」が現れるわけではないことだ。いつも知っているものが、途中から別のものに見えてくる。その感覚こそが、「6のつく年」の作品に共通する怖さだったように思う。 

 だからこそ、「妖怪」が登場する本作にも、妖怪によって日常が脅かされるような展開を予想していた。

妖怪との出会いが、物語を外へ広げていく

 ところが、『オラの妖怪バケ〜ション』で印象に残ったのは、妖怪との出会いによって、野原家の日常そのものが変質するのではなく、その外側へ物語が広がっていくことだった。 

 夏休みに秋田を訪れた野原家は、そこで妖怪と出会い、やがて妖怪の国へ足を踏み入れる。ここで印象的だったのは、妖怪との出会いが「恐怖との遭遇」ではなく、「知らない世界との出会い」になっていたことだ。

 妖怪の国では、こわがりな狸の妖怪・まめ太や、九尾の狐の妖怪・やこ、唐傘の妖怪・唐蔵、アマビエの妖怪・ピン子など、さまざまな妖怪と出会う。

 本作の面白さは、こうした妖怪たちが「怖い存在」として固定されるのではなく、しんのすけと行動をともにする中で、それぞれの性格が見えてくることだった。

 実際に観てみると、本作は恐怖よりも、妖怪たちとの出会いや未知の世界を楽しむ冒険ものとして描かれていることがわかる。過去作が「いつもの世界が怖くなる」作品だったのに対し、本作は「いつもの世界の外へ出ていく」作品なのではないだろうか。

 なぜ『オラの妖怪バケ〜ション』は「6のつく年」のホラーというイメージとは異なる冒険へと向かったのだろうか。

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