『ブルーロック』をガチのサッカー好きが正直レビュー 実写だからこそ伝わるプレーの凄み

『ブルーロック』が実写化されると聞いて、サッカーファンとして真っ先に気になったのは、原作の大胆なサッカー表現が、実写でどう映るのかということだ。選手それぞれの“武器”やエゴが強調され、覚醒をきっかけに試合の流れが一変する。当然、現実のサッカーとは大きく異なる部分も多いが、実写として観たときに、俳優たちのプレーがリアルなサッカーに見えなければ、作品の説得力も損なわれてしまうだろう。
そんな不安を抱えながら公開されてすぐに映画館に足を運んだのだが、実際に映画を観てみると、現実のサッカーとは異なる部分がありながらも、サッカーとしてしっかり成立しているように感じた。その感覚を支えていたのが、何よりもキャスト陣の身体表現だった。

潔世一を演じる高橋文哉は、かなり練習を重ねたのだろう。単にボールを蹴るフォームが整っているというだけではなく、プレーに入る前の身体の向きや、ボールへ寄っていくときの重心移動が自然に見える。サッカーはボールに触れている時間よりも、触れる前の準備のほうが長い。どちらの足で受けるのか、次にどこへ運ぶのかによって身体の向きは変わるし、ボールを受ける前には周囲の状況を確認する必要もある。潔というキャラクター自体、ピッチ全体を見ながら状況を読み、次のプレーを組み立てていくタイプなだけに、そうした“考えながら動いている”ように見える身体の使い方は重要だ。高橋のプレーには、その部分まで意識していることが伝わってきたのが良かった。

潔といいコンビネーションを見せていた蜂楽廻役の櫻井海音にも触れておきたい。蜂楽の最大の武器はドリブルだ。一定のテンポで走るのではなく、緩急をつけ、細かなタッチを挟みながら相手との間合いをずらしていく。そうなると、足元の技術だけではなく、上半身や肩、重心を含めた身体全体のリズムが求められる。櫻井はボールを持ったときの力みが少なく、次にどちらへ動くのかを読ませない、良い意味での軽さがあり、蜂楽の独特なドリブルのリズム感が再現されていた。
もちろん、サッカー好きからすると、技術的に気になるところはあるだろう。特に、ファーストタッチの正確さや、キックのあとにどう体重を移すか、次のプレーへどれだけ素早く移れるかといった部分には、やはり経験値が表れやすい。

ここまで求めるのは少々酷ではあるが、オフザボールの動きも同様だ。実際の試合では、ボールを持っていない選手が相手の背後へ走ったり、味方のためにスペースを作ったり、パスコースを確保するために立ち位置を細かく変えたりする。その連動性もサッカーの魅力であり、華やかなゴールだけでなく、こうした細かな動きを追うのも観戦の面白さの一つだ。『ブルーロック』の試合では、そうした細かなズレや駆け引きが整理され、そのぶん個々の“武器”やプレーの意図が際立つ作りになっている。
ただ、こうした違いは、本作が何を見せたい作品なのかを考えると納得できるものだ。『ブルーロック』はそもそも、300人の高校生FWを集め、世界一のストライカーを生み出すという大胆な設定の作品だ。11人対11人の配置や連動を細かく描くことよりも、誰がどんな“武器”を持ち、その能力によって局面をどう変えるのかを明確にすることが優先されている。現実の試合で起きる無数の細かな駆け引きを整理するからこそ、潔の空間認識能力や蜂楽のドリブル、千切豹馬のスピードといった個性が鮮明になる。

つまり、実写版『ブルーロック』が目指したのは、現実の試合で生まれる細かな動きや駆け引きを忠実に描くことではなく、サッカーとしての説得力を保ちながら、個々の“武器”をいかに際立たせるかなのだと思う。




















