アニメ表現の慣習を打ち破る挑戦 門脇康平監督『我々は宇宙人』が切り拓いた新たな地平

商業セオリーを打ち破る『我々は宇宙人』

 公開が始まったアニメーション映画『我々は宇宙人』。筆者は、この作品について、何も予備知識を入れず鑑賞したのだが、とにかくその内容に驚愕させられた。

 松本大洋と五十嵐大介の絵柄をも想起させる、キャッチーさやキラキラからは程遠いキャラクターたち。その造形や感覚的な線の面白さ、そしてロトスコープを利用したことによる実在感あふれる表現の数々……。魅了されるよりも先に、「これ、大丈夫なのか」という危惧を直感的に抱いた。ここでは、そんな疑問を持たせる本作『我々は宇宙人』とは何だったのかということを、考えていきたい。

※本記事では、映画『我々は宇宙人』のストーリーの核心について言及しています

 先に言っておくと、門脇康平監督のアニメーション映画『我々は宇宙人』は、間違いなく観る価値のある優れた映画だと感じている。一方で、登場人物の造形や物語の展開、作品全体を覆う暗さや、人生の不条理を描くストレスの強さについては、一般的な観客が自然に興味を持ちづらいように思えたのだ。

 ここで疑問に思ったのが、観客に迎合するために作品を分かりやすくしたり、表現を穏当なものにしたりすることとは別に、作品の持つ強度や独自性を維持したまま、観客がその作品に関心を持つための“入り口”や“仕掛け”を、なぜ用意しなかったのか、ということである。

 それはたとえば、宮﨑駿監督が構想していた『アシタカせっ記』を、鈴木敏夫プロデューサーが『もののけ姫』として、もののけの少女というキャッチーな面に光を当てて売り出し、路線を一部変更することで、社会現象を生み出したような工夫である。少年時代のノスタルジーを前面に出す本作のつくりや宣伝は、そうしたビジネス的側面が全く見えなかったのだ。その違和感が、本作への最も大きな疑問だった。

 しかしその疑問は、この作品の成立過程を調べることで、すぐにも解消することができた。この作品、プロデューサーの林健太郎と、監督の門脇康平という、ともに1990年代生まれの二人が、ともに新たな挑戦として、着地点がどうなるか見えない状況から企画したものだったという。彼らのインタビューを見ていくと、当初は既存のスタジオで制作する構想があったものの、計画が思ったように進まず、林健太郎が作り上げた一人だけの映画会社「NOTHING NEW」に、無謀にもスタジオを立ち上げたということらしい。

 そこでは、どうすればアニメ作品として売れるか、グッズが作れるか、シリーズ化や海外の賞を獲っていくかという明確な計算はなく、とにかく20代の門脇監督のイメージを形にしたかったという、ある意味ナイーブといえるような情熱からスタートしていることが分かる。そしてそこにこそ、われわれがこの映画を観る意味と価値が生まれている。

 資本面では、よくある製作委員会方式もとっていない。この小規模スタジオは、初期の少人数体制から始まり、最終的には20人ほどの規模になったという。しかしここから、全国公開まで持っていったことがすごい。そうした作品なのであれば、製作のさまざまなセオリーに縛られず、一点突破で挑む内容になったことも納得だ。だからこそ、中途半端に商業的な要素を付け加えず、表現を徹底的に追求する一貫性を保てたのだと考えられる。

 その制作体制の中核に、従来のアニメーション業界のベテランや専門家を置かなかったという話も興味深い。ここでは、アニメーションの表現というものが、必ずしも既存の業界で蓄積された技法や制作の慣習を継承するだけではなく、絵を描く人間が持つ感覚や美術的な関心を出発点にしても、独自のアニメーション表現を作り出すことができることが示されている。

 そうした環境は、フランスのシルヴァン・ショメ監督の『ベルヴィル・ランデブー』(2003年)や、台湾のソン・シンイン監督の『幸福路のチー』(2017年)などとも近いといえる。こうした珠玉の劇場アニメーションは、むしろアニメーション制作の慣習を逸脱したことが独自の表現を生み出し、ポジティブな結果を生み出したという共通点がある。本作『我々は宇宙人』も、こうした作品に連なる驚くべきアニメーション作品のひとつと捉えられるのである。

 そこで実現されているのが、通常の商業アニメーションの多くのような、キャラクターが背景から浮き上がる表現ではなく、同じく手描きの背景に馴染むように描かれているということだ。人物と世界を、同じ画面の密度のなかに置こうとする。

 この、アニメーションにおいて、人物と背景をどのような関係として描くのかという、表現上の根本的な問いについては、高畑勲監督や宮﨑駿監督も共通した発言をしており、一部で彼らが同様に、業界の慣習を打ち破るべく目指した方向性でもある。それがまた、世界やキャラクターを漫画のコマのなかで、やはりラディカルな姿勢で描いてきた五十嵐大介や松本大洋らの筆致とも接近するというのも、必然的な部分がある。

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