『風、薫る』はなぜ“無風”の朝ドラになったのか 明治時代を漂白した物語

連続テレビ小説『風、薫る』(NHK総合)が9月25日に最終回を迎えた。まだ「看護」という言葉すらなかった明治時代に、日本で初めて養成所で正規に訓練を受けた看護婦(トレインドナース)となる一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)が「最強のバディ」を組んで道を切り拓いていく物語。「看護の原点」と称される看護婦・大関和と鈴木雅をモチーフとしている。「女性2人の主人公によるバディもの」とはっきりと銘打った朝ドラは本作が初めてだ。
りんと直美が「専門技術を身につけたプロフェッショナル」として自立し、仕事を通じて社会貢献を行うことができるようになるまでの道程が、半年を通して描かれた。それゆえ終始、物語の背景として「互助・共助・公助」の理念と社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)のあるべき姿が敷かれていた。

看護婦を続けながら共にシングルマザーとなったりんと直美は仕事上のバディであるだけでなく、ひとつ屋根の下で暮らして血縁に依拠しない“家族”となった。りんの娘の環(山田詩子/瀧七海ほか)と直美の息子・明(開原律/西田一咲)の「もう一人の母」として、互いの子育てと仕事の両立をサポートし合った。こうした彼女らの姿が「互助」を表現している。
直美が立ち上げ、りんと共に運営するようになった派出看護婦団体「恵風看護婦会」は、病院に通うことが難しい在宅患者が1日でも早く快方に向かい、その人らしく生きることができるようサポートをする。貧しくて費用が払えない人たちには無償で派出看護を行った。さらには志望者に看護を教え、後進の育成も担った。
直美とりんが民間として立ち上げたこの取り組みが、やがて内務省衛生局の役人・柳生(中村倫也)を動かし、「東京府看護婦規則」の制定へと導く。
こうして築かれた「近代看護の礎」はやがて「共助・公助」の定着へとつながっていく。第129回で柳生は直美に社会保険の必要性を説き、この物語のおよそ20年後に日本初の社会保険制度として制定される「健康保険法」への道のりを示唆していた。
身ひとつで娘の環と共に婚家を飛び出してきたりんに住まいと仕事を与え、「社会」という概念をりんに最初に教えた卯三郎(坂東彌十郎)や、りんと直美にトレインドナースになる道筋をつけたメンター、捨松(多部未華子)は物語初期のキーパーソンだった。卯三郎と捨松によるノブレスオブリージュが、社会的包摂の理想を表している。
序盤で「女性の生き方」を象徴するアイテムとして登場し、りんに気づきを与えた「女子(おなご)すごろく」が最終週でも登場した。序盤では「良家に嫁いで奥様となる」ことが「上がり」となっていたが、最終回のすごろくのマス目には看護婦、絵師、教師、電話交換手、女工その他、さまざまな女性の職業選択の自由が描かれていた。
すごろくの「上がり」に設定されていたのは「一家団欒」。この「一家」はおそらく、個々の家族だけではなく「社会全体」という広義の「家族」を意味するのだろう。りんと直美が看護を通じて踏み出した一歩は、社会全体が幸せに楽しく暮らせるための一助へとつながる。

最終回、りんと直美たちが吹かせた「風」が「今」に運ばれる。ラストシーンでは現代に時間が飛び、大きな病院に勤めるりんにそっくりな看護師と直美にそっくりな看護師が、今日も個々の患者のニーズに応じた看護を模索しているーー。
しかし、ここまで書いてきた全ての段落の文末に「……と作り手は描こうとしていたようだが、果たしてその風が本当に視聴者の“心”に届いたかどうかは、疑問である」という文言をつけざるを得ないのが残念だ。
作り手がやりたいことはわかる。しかし、心に響いてこない。腹落ちしない。残らない。あまりにもご都合展開が多く、散漫で、作劇の真ん中に1本の太い柱がなかったように感じられてならない。一つひとつのエピソードが有機的につながらずに寸断されて、右から左にただただ流れていく。全編通して風は薫らず、無風状態であった。例えるなら、半年間、辛うじてお茶が一滴混じった「ほぼ水」を飲んできたような気分なのだ。





















