『東京P.D.』はなぜ“異色”の刑事ドラマに? 福士蒼汰らの抑制された演技が生むリアリティ

『東京P.D.』はなぜ“異色”の刑事ドラマに?

 地上波での放送を終えようとしているいま、大きな盛り上がりをみせている『東京P.D. 警視庁広報2係』(フジテレビ系)。福士蒼汰が主演を務める本作は、かなり異色のドラマだ。警視庁の「広報課」にフォーカスした珍しい作品であり、「ライターズルーム方式」によって複数の脚本家が紡ぎ上げる物語の展開は、繊細でありながら骨太。この「Season1」の終了後にはFODにて「Season2」が独占配信されることになっているが、現時点で早くも先が気になって仕方がない。

 この“異色のドラマ”を成立させているのは何か。その大部分を担っているのはやはり、俳優たちの好演にほかならないと思う。若手からベテランまでが繰り広げる演技こそが、『東京P.D. 警視庁広報2係』という作品を立ち上げてみせているのだ。

 本作はあの警視庁に所属する人々の姿を描く作品とあって、ジャンルとしては“刑事ドラマ”だといえるものだ。主人公の今泉麟太郎(福士蒼汰)たちが追うのは何かしらの事件であり、そこには犯人/加害者がいて、そして被害者がいる。捕らえるべき存在があって、守るべき存在がある。ただ、多くの刑事ドラマと違うのは、麟太郎たちが警察組織の人間らしい振る舞いをしないこと。そう、これは「広報課」の活躍を描く作品だからである。

 このドラマと出会うまで、視聴者の多くが「広報課」という存在について、ほとんど何も知らなかったのではないだろうか。筆者も例外ではなく、本作の第一報に触れた際には、新たな“お仕事ドラマ”が誕生するのかと思ったほどだ。いや、たしかに“お仕事ドラマ”だともいえるのだが、やはり作品の手触りとしては“刑事ドラマ”と称すべきもの。しかもそのタッチは硬質で渋い。物語はこれまでずっと、シリアスなトーンで展開してきた。

 この“トーン”に合わせて俳優たちが演技を組み立てているのか、はたまた俳優たちの演技が作品のトーンを決定づけているのか。それは分からない。ただ、こうして誕生した『東京P.D. 警視庁広報2係』という作品と福士たちの演技は、結果的に分かちがたいものになっているだろう。声にも表情にもあまり分かりやすい感情を乗せることをせず、アクションにしろリアクションにしろ、誰もが丁寧に抑制している。

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