『ばけばけ』の明治と現代を繋げる巧みな“フレーミング” “分からない”ことが楽しみに

『ばけばけ』は“分からない”ことが楽しみに

 現在放送中のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。毎日の放送後はいつもSNSを賑わせている本作も50話を過ぎ、折り返し地点を迎えようとしている。

 第21話までは、怪談好きの主人公・トキ(髙石あかり)とその家族・松野家をはじめ、縁戚で実はおトキの実の両親が暮らす富豪の雨清水家、貧しい松野家に婿入りした銀二郎(寛一郎)をめぐる物語だった。その後、未だに武家社会のしきたりや「格」を重視する松野家に耐えきれなくなった銀二郎が出奔。おトキは東京まで追いかけたが、結局離縁し、一家を支えるためがむしゃらに働いていた。レフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)が来日したのはその頃、1890年のことで、第22話はここからスタートする。

 島根県の江藤知事(佐野史郎)の肝いりで松江を訪れたヘブンは、豪華な宿を断り、古ぼけた花田旅館に宿泊する。しじみ売りとして出入りしていたトキは、ヘブンの通訳として松江入りしていた、銀二郎の東京の下宿仲間だった錦織(吉沢亮)と再会。さらに花田旅館でヘブンと顔見知りになる。

 松江の人々はヘブンを「異人さんの来訪」ともてはやしたり、はたまた花田旅館の主人(生瀬勝久)らのように妖怪にたとえて恐れ、避けている。さらになみ(さとうほなみ)のような遊女は、ヘブンの羅紗緬(日本の幕末~明治時代において、もっぱら外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性の蔑称)になって遊郭を抜け出すことを期待するなど、とにかく浮き足立つ。ヘブンは旅館にしばらく逗留したものの、主人と喧嘩し家を借りることを決意。同時に女中も世話してもらえるよう錦織に依頼するが、誰もが女中=羅紗緬だと考えていたため、なり手がない。苦慮した錦織は、おトキに引き受けてくれるよう頼む。初めは突っぱねたおトキだったが、様々な理由から引き受けることを決める。

 相変わらず昔気質な勘右衞門(小日向文世)が「憎きペリーめ!」と木刀を振り回すように、すでにペリー率いる黒船が横浜・浦賀へ来港してから37年が経過していたが、松江の人々は外国人を“異なる未知の存在”、何をするか分からない野蛮な者だと想像していたようだ。おそらく当時ではごくありふれた感覚だったと理解はするが、改めて目の当たりにすると、この感覚が普通だったということにも、135年経ち現代がまるで一巡したかのようにしてその頃の空気を漂わせていることにも、心がざわつく。

 第21話以降の『ばけばけ』を広い目で見てみると、ヘブンに対する松江の人々の反応に限らず、時代の移り変わりや、ヘブンのような存在、さらに他者と己というパーソナルな境界といった、自分とは違うものや人による価値観の変化で“己の存在”が揺らぐことへの恐れが見て取れる。

 中でも、家長の傳(堤真一)と織物工場を失った雨清水家のタエ(北川景子)と三之丞(板垣李光人)には明らかだ。タエは没落してもなお、三之丞が使用人として働くことを許さなかった。「社長として雇ってほしい」と言いながら職探しをする三之丞がどの店でも門前払いをくらうのを知らず、自分自身は「人に使われるくらいなら潔く」と、路上で物乞いをしていた。「金を恵んだのだから頭を下げろ」という通行人に屈さず、罵声を浴びせられているタエを見て、トキは呆然としてしまう。

 二人は旧家であることが自身の存在意義であり、なおも別の生き方を選び取れない。第1話でトキの母・フミ(池脇千鶴)が、武家としての生き方しか知らずなすすべない父・司之介(岡野はじめ)について「父上は立ち尽くしているの」と表現したが、タエたちもまた全く同じ状況にいるのだ。また、ヘブンの女中としてトキが働いていることがばれてしまい、タエたちに賃金の一部を渡していると知ったフミはけわしい表情で「おタエ様のためだったら羅紗緬になってもいいということか」と呟くのも、トキが育ての親の反対を無碍にしても生みの親を助けようとしたことで、フミ自身の存在がおびやかされたと思えたからかもしれない。「自分がなぜ、何のために生きているのか」が揺らいだり、失われたりしたらその刹那に生きていかれなくなるという、まさに、武家社会を誇り高く生きてきた松野家や雨清水家なら容易に想像がつく考え方だ。

 しかし、プライドゆえに頑として金を受け取ろうとしない三之丞に対し、トキは「物乞いだよ!? 自分でなんとかすると言いながら……本当に死ぬ!」と強い一言を浴びせる。おトキは銀二郎を東京から連れ戻すことが出来ず、離縁の経験があるゆえになかなか次の結婚も決まらなかったが、それでも心に抱えた傷をみせることなく、貧しい一家を支えるため働いていた。そんなトキから見れば、他に生きる術を見つけようともしない三之丞たちは「潔く」などないのだ。もちろんこの展開は、賢さと共感力を持つトキが家族に献身していくさまを美化しているとも受け取れる。逆説的ではあるが、新しくて異なる価値観や存在に直面したとき、松野家や雨清水家のように自分たちがおびやかされてしまうとしか受け止められない人たちは、もっと大切なものを犠牲にしてしまうという暗示なのかもしれない。

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