【追悼】仲代達矢さんの傑作群をいつまでも “モヤ”の魅力が凝縮された岡本喜八『斬る』

俳優・仲代達矢さんが世を去った。享年92。映画ファンにとっては、数々の巨匠と組んだレジェンド級の名優、もしくは演劇界の重鎮といったイメージが強いかもしれない。特に強烈なインパクトを残したのは、黒澤明の『用心棒』(1961年)、小林正樹の『切腹』(1962年)、五社英雄の『鬼龍院花子の生涯』(1982年)といった作品群であろうか。いずれも眼力鋭い、ギラギラした迫力に満ちた演技で観る者を圧倒した。
そんな彼の若い頃からのあだ名は「モヤ」。靄(もや)のように掴みどころがないから、というわけではなく、幼い頃から本名・元久の「も」に坊やの「や」をつけて、家族の間で「モーヤ」と呼ばれていたのだという。それが演劇仲間にも浸透したそうだが、あんな濃い顔立ちに「モヤ」という愛称がすんなり馴染んでしまうほど、普段は飄々とした昼行燈タイプの人柄だったのかと想像してしまう。
そんな類い稀なる“モヤ感”を、映画俳優として最も的確に引き出し、活かしてみせたのが、岡本喜八監督ではないだろうか。特に『斬る』(1968年)はその頂点といえる。
『斬る』は、山本周五郎の短編小説『砦山の十七日』を原案とした痛快娯楽時代劇。仲代さんは侍の身分を捨てた無宿人・源太こと兵頭弥源太を演じ、ボロ傘をかついで上州・小此木領へとやってくる(厳密にいえば、幻滅して関所から出て行こうとするところから始まる)。そこで彼は藩内のクーデター騒動に巻き込まれ、腐敗した内政に反旗を翻した血気盛んな若侍たちに手を貸すことになる。彼らは圧政の張本人である城代家老を斬ってしまうが、実は若侍たちをそそのかした次席家老・鮎沢(神山繁)こそが真の悪人。鮎沢はすべての権力を手中に収めるべく、若侍たちを謀反人として始末しようと、腕の立つ食い詰め浪人たちを集めて討伐隊を組織。互いに討ち合いさせて邪魔者を一気に片付けようとする。源太もその仲間に引き込まれかけるが、彼は飄々と立ち回りながら若侍たちを助け、討手を返り討ちにし、鮎沢一派との最終対決に臨む。
……と、こう書けばわかるとおり、ストーリーはある映画によく似ている。若侍たちが砦山に立てこもる展開や、そこで生じる疑心暗鬼のドラマなどは確かに『砦山の十七日』をベースにしているが、そのほかの要素は同じ原作者の短編『日日平安』を思わせる部分が多い。『日日平安』といえば、仲代さんも出演した黒澤明監督作品『椿三十郎』(1962年)の原作だ。『用心棒』の続編として作られた『椿三十郎』のシナリオは、もともとシリーズとは関係なく堀川弘通監督が温めていた『日日平安』の映画化企画を頂戴したものだった。
この企画と『斬る』の厳密な関係性はわからないが、原作読者として言わせてもらうと『斬る』は最も優れた『日日平安』の映画化と呼びたい内容である。しかも、その結末は原作と正反対なのだ。興味があればぜひ比べてみてほしい。
そのラストシーンの描き方とも関わってくるが、『斬る』は岡本喜八監督らしい反権力・反体制マインドに溢れた作品だ。(だから、主人公が仕官の道を得て「どうもありがとう」なんて言ってしまう『日日平安』の結末を踏襲するはずがない)。そして、監督の代表作である『独立愚連隊』(1958年)や『肉弾』(1968年)と同じく、立派な戦争映画でもある。
老獪な権力者に騙され、不条理な殺し合いに追い込まれ、あたら命を散らしていく若侍たちの悲愴な姿には、言うまでもなく「戦中派」岡本喜八の怒りと実感が反映されている。血気にはやる若者たちの姿には、1960年代当時の学生運動の面影も感じさせるが、岡本監督はどこか彼らの言動に危なっかしさを感じていたのかもしれない。それでも映画作家・岡本喜八は、ひたむきに声を上げ、正義を求める若者に寄り添いつづける。そんな彼らを導くのが、武家社会の埒外(らちがい)から突如現れた“元体制側の中年アウトローヒーロー”=仲代達矢なのだ。この構図はいま観ても魅力的だ。
仲代=源太はその飄々としたキャラクターで、思い詰めた若者の破壊衝動や視野の狭さを解きほぐし、一見ノンシャランとした態度を貫きながら彼らを救おうと奔走する。それだけでなく、権力者に利用され、食い物にされる貧しい庶民や弱き者の味方でありつづける。それは岡本監督自身の「こうありたい大人」の姿だったのではないだろうか。
かつて「国家に騙された若者」だった岡本監督が、自分はどんなに貧しくても出世に縁がなくても、若者や弱者を応援する立場でいつづけようとした意志表明のようなものを『斬る』には感じる(もちろん、ほかの全作品と同様に)。そんな「理想のヒーロー像」を100%カンペキに体現するのが、モヤこと仲代達矢なのである。『椿三十郎』で三船敏郎がムカムカしながら若者たちを引っ張っていく姿は(それはそれで面白いが)、岡本喜八や堀川弘通のイメージするヒーロー像とは少し違ったのではないか。





















