男性の“ケア”はなぜ難しいのか? 『あんたが』『ぼくたちん家』が示す現代性

『あんたが』『ぼくたちん家』と男性のケア

ケアが豊かな生活を作る『ぼくたちん家』

『ぼくたちん家』©日本テレビ

 同じく現在放送中の『ぼくたちん家』(日本テレビ系)で描かれる性的マイノリティの主人公・波多野玄一(及川光博)と性的マジョリティの市ヶ谷仁(光石研)の対比は、男性のケア・雑談を考えるうえで参考になるだろう。

 波多野は性的マイノリティであることで婚姻届が出せなかったり、それに伴い家のローンが組みにくかったりと生きづらさを感じている。

 しかし、この作品には陰鬱さではなく、ポップさやあたたかさが漂う。それは、波多野のケア能力の高さが視聴者にゆたかな暮らしを想起させるからではないだろうか。たとえば、彼はギターを弾くことやインコや犬、亀を愛でることに楽しみを見出している。血縁関係はないが訳あって面倒をみている楠ほたる(白鳥玉季)に自身が作った色彩豊かなおにぎりや味噌汁を振る舞ったり、好きなアイスの話をしたりと表情豊かで楽しそうだ。

『ぼくたちん家』©日本テレビ

 その対照がほたるの父・市ヶ谷仁だ。彼は離婚をしていて娘のほたるからは一切慕われていない。彼のプライベートや友達の描写は一切なく、ここまでの物語で知り得るのは彼には新しい家族がいること、そして性的マイノリティに極端な偏見を持っているということだけで、どこか息苦しい。

 性的マイノリティの波多野と性的マジョリティの市ヶ谷。自身のケアや周囲とのコミュニケーションを見ると、マイノリティである波多野の生活が豊かであると感じるが、これはケアと雑談の重要性を静かに物語っていると言えるだろう。

雑談こそ究極のケアである『イン・ザ・メガチャーチ』

 男性のケア問題は小説でも旬な話題だ。9月に発売された朝井リョウの新刊『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)では、推し活をめぐる物語を基軸としつつ、中年男性の孤独が痛烈に描かれている。

 47歳の久保田慶彦は7年前に離婚しており、月1回30分の電話と娘の養育費の支払いでしか家族とのつながりがない。レコード会社に勤務しているものの、仕事にやりがいを感じているわけでもない。読者は、中年男性が孤独の罠に陥っている様子を痛いほど見せられるのだ。

 そんな彼だが、物語が進むにつれ自己の修復に近づく。その手がかりが「ケアとしての雑談」なのだ。

 久保田は仕事のプロジェクトで娘と生年月日が同じであるアイドル・垣花道哉と関わるようになり、次第に仕事以外の会話をするようになる。そのなかで道哉は「男の人って、お茶しないですよね」「男同士って、仕事とか勉強とかそういう明確な目的がないと昼間に会ったりしないですよね」と男性同士の雑談の欠如に疑問を投げ、「雑談ってたぶん、ケアなんですよ。内容がどうっていうよりも、相手とかその場自体をケアするものなんですよね」と久保田には目から鱗の発言を連発する。

 さらに、男性がコスメを使ったり、清潔感を意識したりすることは自身だけでなく、その場をケアすることにもつながると断言するのである。

 その後、ケアと雑談能力の低さを再認識した久保田が、これらと向き合うことで人生を再生していく。これらのプロセスを提示してみせたことは、『イン・ザ・メガチャーチ』の大きな功績の1つだろう。

 冒頭にあげた『父と息子のスキンケア』にはこのような記載がある。

自分をケアできない人は、他人をケアすることもできない。そういう人は、仕事や
社会というつながりがなくなると、家族や他者から途端に必要とされなくなってしま
う。自分に価値がないことを、社会的な縁が切れてから思い知っても手遅れじゃない

 かなり火力高めの一言だが、男性のケア問題の切実さゆえだろう。

 男性のケア問題に関するひとつの到達点を見せてくれた『イン・ザ・メガチャーチ』。男性がケアされる存在からケアする存在へ生まれ変わりつつある現代に、今期の『じゃあ、あんたが作ってみろよ』『ぼくたちん家』がどのような着地点を見せてくれるのか、期待は膨らむばかりだ。

参照
※.https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/23/hanzawanaoki_n_3979340.html

『ぼくたちん家』の画像

ぼくたちん家

現代に様々な偏見の中で生きる“社会のすみっこ”にいる人々が、愛と自由と居場所を求めて、明るくたくましく生き抜く姿を描くホーム&ラブコメディ。

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