伝説の番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』の放送は事件だ! 昭和の“狂騒”をもう一度

まわりに50代半ば以上の人がいたら、「デンセンマンと『電線音頭』って知ってる?」と尋ねてみてほしい。たぶん90%以上の人が知っているし、「♪でっんせんに、すずめが、三羽とまってた」と歌まで歌ってくれるだろう。
1970年代後半、社会現象的なブームを巻き起こした「デンセンマン」、そして「電線音頭」。これらを生んだ昭和のテレビ史に燦然と輝くバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』が、なんと約50年ぶりにCSホームドラマチャンネルで放送される。これは事件だ。
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』は、人気絶頂だったアイドル・キャンディーズを中心とした歌ありコントありのバラエティ番組。1976年10月に放送が始まり、瞬く間に視聴率20%を超えるなど、爆発的な人気を博した。
コント部分を担ったのは、当時30代だった喜劇俳優・伊東四朗と小松政夫のコンビ。メインのコント「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」(開始当初は「ああ!! 親バカ子バカ」)では、伊東がかあちゃん、小松とキャンディーズが悪ガキたちに扮してスラップスティックなやり取りを繰り広げた。
シュールなボケを続ける小松に伊東が激しいツッコミを入れまくるのが基本で、ひどい目に遭っていじけた小松がおもむろに歌い出す「しらけ鳥音頭」も大ブームになった。アイドルにもかかわらずカツラを被り、身体を張って笑いを取るキャンディーズの奮闘ぶりも見逃せない。1977年夏の解散宣言後も番組出演を続け、「ラン、泣かないで! 私たちには時間がないのよ!」と自分たちの解散をネタにするたくましさも見せていた。
後に伊東は「キャンディーズは自分たちでアイデアを出して、真剣にやってましたよ。私らもずいぶん助けられました」と述懐している(※1)。小松は「あらんかぎりのイタズラ、クスグリ、チャチャを入れてれば、フツーなら泣いたり怒ったり楽屋にこもったりするんだけど、あの子たちぜんぜん屈しないの。メゲないし、ぶれないんだよね」と賛辞を送っていた(※2)。デビュー前から『8時だョ!全員集合』(TBS系)に出演して鍛えられていたキャンディーズは、アイドルとしては破格のコメディセンスと根性を持ち合わせていた。
番組は、加山と荒井注が小舟に乗りながらトークする「若大将対ハゲ大将」、加山とキャンディーズが歌とトークを繰り広げる「加山さんちの雄三くん」、キャンディーズが主演のシリアスなミニドラマ「美しき伝説」など、バラエティに富んだコーナーの数々で構成されている。意味がありそうで意味のないコーナーが多く、とにかく笑ってほしい、楽しんでほしいという番組の潔さがうかがえる。

ナンセンスの極みだったのが「デンセンマンだよ!電線音頭」だ。コーナーはさまざまに進化して形を変えたが、基本的な流れは次の通りである。
伊東扮する「電線軍団」のリーダー「ベンジャミン伊東」と、小松扮する司会者「小松与太八左エ門」、お笑いグループのザ・ハンダースなどが、高らかに鳴り響く「軍艦マーチ」とともに、キャンディーズらがいるセットになだれこむ。
ド派手な衣装を着た小松がセットのコタツに飛び乗って、「本日はにぎにぎしくご来場、まことありがとうございます! 私、四畳半のザット・エンターテイメント、小松与太八左衛門でございます!」と流暢に口上を述べると、ベンジャミン伊東を紹介する。
ベンジャミン伊東は、ボサボサに逆だった髪にサルバドール・ダリのような口ひげ、ギラギラの衣装に巨大なネクタイをつけて、手にはムチを持っている。このネーミングとルックスは、オンエア2週間前に突然「電線軍団の団長になってください」と振られた伊東が自ら考案したもの。ガンギマリの顔でベンジャミンはこう叫ぶ。「人の迷惑顧みず、やってきました電線軍団!」
























