渡哲也はまぎれもなくテレビドラマのスターだった 『生命燃ゆ』に刻まれた魂の名演

渡哲也は“テレビドラマ”のスターだった

 俳優の渡哲也が逝去してから、2025年で5年目になる。渡は1965年に日活からデビューを果たしたが、当時の日活はすでに斜陽の時を迎え、石原裕次郎や小林旭などの映画スターを輩出した1950年代の頃の勢いは失われつつあった。それでも渡は、ヤクザ映画などの男っぽい作品で主演を務め、日活がロマンポルノ路線に方針を変えるに伴って、活躍の場をテレビに移した。1971年に日活映画の大先輩にして尊敬の対象だった裕次郎の芸能事務所、石原プロモーションに入社。ここから渡の長いキャリアがスタートする。

 何といっても渡が広くお茶の間に知れ渡ったのは、日本テレビの刑事ドラマ『大都会』シリーズ(1976年~1979年)と、その精神を引き継いでテレビ朝日で放送された『西部警察』シリーズ(1979年~1984年)だろう。これまで「石原裕次郎 生誕90周年特別企画」と題して、石原プロ制作のドラマを集中的に放送してきたホームドラマチャンネルでは、この8月に「没後5年 渡哲也特集」と銘打って、名作を一挙放送する。8月10日放送の『生命燃ゆ 妻よ娘よ、我が人生に悔いなし』(1992年)は、地上波で観る機会がほとんどないので必見だ。

『生命燃ゆ 妻よ娘よ、我が人生に悔いなし』©石原音楽出版社

 この『生命燃ゆ』は、渡自身が直腸癌の長期療養から復帰した最初のドラマで、それ故に生命の大切さを訴えた内容になっている。冒頭には、1987年に病死した石原裕次郎にこのドラマを捧ぐ一文が表示され、思わず胸が熱くなる。1980年代は石原プロの刑事ドラマを中心に活動した渡だが、病気療養以降の1990年代からはホームドラマやサスペンスで人情味のあるキャラクターを多く演じた。とはいうものの、渡哲也と聞いて多くの人がすぐ思い浮かべるのは、濃紺のスーツとネクタイを着用し、サングラスをかけ、ショットガンを手にした『西部警察』の男くさいイメージではなかろうか。それだけ視聴者に鮮烈な印象を残すドラマだった。テレビ朝日放送の『西部警察』の前身は日本テレビの『大都会』シリーズなのだが、その第1作目『大都会-闘いの日々-』(1976年)は、後々の『西部警察』の大門軍団とは程遠い、地味で実直な人間ドラマが売り物だった。『大都会-闘いの日々-』は、暴力団事件を専門とする捜査第4課所属の黒岩刑事が、暴力団員を身内に持つ人や、暴力に晒される人を通して世の中の非業と悲哀に触れるヒューマニズム溢れる刑事ドラマだ。

『大都会-闘いの日々-』©石原音楽出版社

 『大都会-闘いの日々-』はメインライター倉本聰の実直なシナリオが評価された一方、視聴率は伸び悩んだ。銃撃戦やカーアクションを強化した第2作『大都会 PARTII』(1977年)、第3作『大都会 PARTIII』(1978年)で視聴者を掴み、国会議事堂前を大型装甲車が走る強烈な掴みで始まる『西部警察』(1979年)へと結実する。『西部警察』初期の頃は、一部のキャストが同じこともあり『大都会 PARTIII』のバージョンアップという印象だったが、破格の製作費と物量戦、建築物と乗り物の爆破などの派手さで独自のスタイルを打ち立て、平均視聴率14%のヒット作となった。

『大都会 PARTⅡ』 ©石原音楽出版社

 『大都会-闘いの日々-』での渡は、仁科明子が演じる妹と風呂桶を手に銭湯への夜道を歩く良き兄貴ぶりを見せ、『大都会 PARTII』では松田優作のユーモラスなアドリブに振り回されつつ、コワモテの刑事を演じた。『大都会』シリーズの合間には、やはり石原プロが制作したホームドラマ風時代劇『浮浪雲』(1978年)にも出演し、女遊びが好きな主人公役で肩の力を抜いた芝居を見せている。『浮浪雲』は、硬派な印象を持たれる渡が軟派なキャラクターを演じるドラマで、最終回には石原裕次郎がゲスト出演した。

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