『ばけばけ』は本当に何も起きていない? “矛盾だらけ”なのに魅力的な理由を解説

『ばけばけ』は“矛盾だらけ”なのに魅力的

 9月29日からNHK連続テレビ小説の『ばけばけ』がスタートした。脚本はNHKドラマ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』や『一橋桐子の犯罪日記』のふじきみつ彦。番組の制作発表時のコメントにて、「何も起きない物語を書いてます」とあって、これまでふじきのドラマを観てきたものとしては納得して楽しみにしていたが、第1週目の蓋を開けてみると、たくさんのことが起こりまくっていて驚いた。それでも「何も起きない物語」を目指しているということは不思議と伝わってきた。

 主要な登場人物は、小泉八雲の妻・小泉セツをモデルにした松野トキと、小泉八雲をモデルとしたレフカダ・ヘブンのふたり。第1話の冒頭は、トキ(髙石あかり)がヘブン(トミー・バストウ)に怪談を語るシーンから始まる。怪談を読み終わったトキがヘブンに「私にもっと学があればと、恨めしいの顔ですけん」というセリフがあるが、ヘブンは、学があればお化けの話は馬鹿らしいものと思って、このような本はできなかったと、ヘブン特有の言葉遣いで伝えるシーンがある。この場面を観るだけで、ドラマの在り方が伝わってくるような気がした。

 そこからトキの子ども時代に戻り、父親の司之介(岡部たかし)、母親のフミ(池脇千鶴)、祖父の勘右衛門(小日向文世)との家族の物語がスタートする。第1話から情報量が多いのだが、かといって「走りすぎている」感じはしない。司之介は世を恨み、丑の刻参りをしているが、どこかその恨みに陰惨なものは感じられず、すっとぼけた感じがあるのは、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、そしてトキの幼少期を演じる福地美晴の演技や演出の雰囲気によるものだろう。

 司之介は武士の世の中から明治になり、変化についていけない人物として描かれる。同時に冒頭では働いていない人物でもある。そんな司之介が橋の上に立ち、遠くを見ている姿に対してフミは「父上はね、立ち尽くしちょるの」とその状況を語るが、戸惑い、立ち尽くす人のことをこのドラマは書いていくのかと思うと、もうこのドラマを毎日観ていこうとそれだけで思えた。

 街中を見ても、司之介以外の人は髷を結っていないというのにも、立ち尽くしている感や、取り残されている感が見て取れて、心がギュっとなってしまう。子ども時代のトキが見る司之介は、どこか遠くにいってしまいそうな、心もとなさがあるのだ。

 そんな姿を見ていると、自分の友人の栗田隆子さんの、『「働けない」をとことん考えてみた。』という本を思い出した。これも、世の中で立ち尽くす人の本だからである。

 しかし、家族の在り方にほっこりしていたのも束の間、司之介はうさぎを扱う商売に手を出し、そのうさぎバブルがはじけて何日も家に帰ってこなくなる。「何も起きない」なんて言っていたのが嘘のように、ジェットコースターのような展開で、感情がぶんぶんに揺さぶられてしまった。

 トキやフミは、川で亡くなった司之介と同じくらいの年齢の男性の死体を見て、司之介ではなかったことに安堵し「はー、よかった」と心の声を漏らす。このドラマにはいわゆるちょっとした不謹慎さや、通常ならば、心の中に隠しておくようなことを漏らすシーンがところどころで出てくる。冒頭で、世の中の変化を恨んで、司之介が丑の刻参りをしていたのも、同じようなものを感じる。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる