『あんぱん』脚色でより明確になったテーマ 空腹と戦争が導いた“逆転しない正義”

嵩は戦時中、飢えとの戦いに苦しんだ。そのことが、おなかをすかせた人に食べ物を分け与えるアンパンマンの着想につながるが、やなせの実体験は少し異なる。上海近郊の四渓鎮に駐屯したやなせの所属する部隊は、決戦を目前に控えて、食料を極端に切り詰めた。「毎食、うすいオカユだけ」の生活で、やなせはすっかり戦意を喪失したが、倹約のかいあって、終戦時には糧食の蓄えが豊富にあったそうだ。栄養失調になったエピソードは、ドラマで脚色を加えたものである。

こうしてみると、朝ドラ『あんぱん』には大胆な設定変更が施されていることがわかる。他方で、史実に忠実な設定もある。代表的なものが、嵩の弟・千尋(中沢元紀、幼少期:平山正剛)だ。やなせの実弟も千尋さんといい、ドラマと同じ名前である。幼い頃は病弱で、成長すると文武両道の若者となり、京大の法科へ進学したのもドラマと同じである。学徒出陣し、海兵になるのも史実を踏襲している。ドラマで、千尋は「特別な任務」で出動し、外洋で戦死してしまう。
実際は、やなせの弟の千尋さんは、輸送船団を護衛する駆逐艦呉竹に乗船したが、台湾とフィリピンの間のバシー海峡で、アメリカの潜水艦の魚雷を受けて沈没した。千尋さんは、この時に戦死している。千尋さんの任務や戦死の理由については、「特攻隊を志願した」「人間魚雷『回天』の搭乗員だった」という誤解が流布している。やなせ自身、著書で「海軍特攻隊に志願した」と綴っており、不正確な記述になっていることも誤解を助長しているかもしれない。これは、軍の機密保持上、遺族に詳細が伝えられなかったことも関係がある。

史実に大幅な改変を施しながら、戦争パートで千尋さんの実話を借用したのは、戦争反対の明確な意思を表明するものと考えられる。全体の半分に当たる第12週までを使って戦前から戦時中を描いた『あんぱん』で、「逆転しない正義」に説得力を持たせるための不可欠なエピソードだったと言えそうだ。軍国少女だったのぶ、嵩の飢餓体験、千尋の戦死は、主要人物が直面する大きな壁で、それらを乗り越える過程は今作のテーマと直結している。変更点を押さえて観ることで、『あんぱん』が伝えようとするメッセージをさらに深く理解できるだろう。
参照
※やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波書店)
※https://gendai.media/articles/-/151376)
■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、高橋文哉、眞栄田郷敦、大森元貴、戸田菜穂、戸田恵子、浅田美代子、吉田鋼太郎、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子ほか
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK





















