ジェームズ・ガンはなぜ、スーパーマンを“はみだし者”に? レガシーからの脱却を紐解く

ジェームズ・ガンが描き続ける“はみだし者”

 アメリカの興行収入2億ドルを突破し、大ヒット爆進中の映画『スーパーマン』(2025年)。本作はもともと、『スーパーマン:レガシー』というタイトルが予定されていた。

 レガシーとは、「遺産」、「伝統」、「受け継がれてきたもの」という意味。場合によっては、「時代遅れ」という否定的な意味で用いられることもある。1938年に誕生したスーパーマンが、アメコミ史上最も有名なヒーローであることは間違いないが、その完全無欠なキャラクター性は、現代においては確かに「時代遅れ」。陰のあるダークヒーローのバットマンや、どんな状況でも冗談や下ネタを連発するデッドプールとは異なり、彼の清廉潔白・品行方正さは、あまりにも時代錯誤すぎる。

“はみだし者”を描き続けてきたジェームズ・ガン

 クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』(1978年)、ブランドン・ラウス主演の『スーパーマン リターンズ』(2006年)、ヘンリー・カヴィル主演の『マン・オブ・スティール』(2013年)と断続的に映画化されてきたものの、時代とのズレは年々深まるばかり。そんなレガシー・ヒーローに、新たな息吹を再びもたらすことはできないか? 捲土重来を目論むDCスタジオが白羽の矢を立てた人物こそ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで知られるジェームズ・ガン監督。しかし、彼は最初このオファーを断ってしまう。

「スーパーマンは、私が普段扱っているようなキャラクターではない。これまで私が描いてきたストーリーは、悩みを抱えた主人公が、少しずつ自分の良いところを発見していくというものだった。スーパーマンはそうではない。ほとんど正反対といってもいい。彼は純粋に善良で、悩みを抱えたことのない魂なんだ。そして彼は皮肉屋ではなく、本物で、お人好しなんだ」(※1)

 確かにジェームズ・ガンの映画に登場するのは、社会の規範から外れたり、過去に傷を負った人々ばかり。アウトサイダーであり、社会不適合者である彼らは、不安や葛藤を抱え、他者と繋がることで自分の居場所を見つけていく。

 例えば『スーパー!』(2010年)は、妻に捨てられた主人公が街に蔓延る悪を蹴散らすために即席ヒーローとなり、自分の居場所を見つけようと奮闘する話だったし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)は、宇宙のならず者たちが集まって擬似家族を形成し、互いに支え合いながら成長していく物語。『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021年)は、社会から見捨てられた悪党たちが、減刑と引き換えに危険なミッションに挑む作品だった。

 いつだってジェームズ・ガンは、世界からはみ出てしまった人物に焦点を当てて、物語を構築していく。圧倒的な強さゆえに人間的な葛藤や弱さが描きづらいスーパーマンは、あまりにも非ガン的キャラクター。それでも最終的に彼は、2022年にDCスタジオの共同会長兼CEOに就任し、自ら監督・脚本を務めることを決断する。タイトルから「レガシー」を外し、真正面から、『スーパーマン』を送り出すこととなった。

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