『スーパーマン』がまっすぐに描いたまっすぐな正義 作品に込められた力強いメッセージ

『スーパーマン』が描いたまっすぐな正義

 遂にアメリカンスーパーヒーロー映画の真打ちが戻ってきた! ジェームズ・ガン監督作『スーパーマン』(2025年)である! これがもう期待に応える大力作! 続編とかあれこれ考えず、ともかく1本のヒーロー映画として大充実の内容になっている。「正義とは何か!?」「ヒーローとは何か!?」この問いかけに力強く答えてくれた。正義とは、人を守るもの! ヒーローとは、人々の理想を背負う者!

 孤児としてアメリカに流れ着いた宇宙人のカル=エルは、地球の里親にクラーク・ケント(デヴィッド・コレンスウェット)として育てられ、遂には世界最強の男「スーパーマン」として、今日もヒーロー活動に精を出していた。しかし、世の中は上手くいかないもの。スーパーマンは正義の心で人を助けるが、法や世論と対立することもしばしば。今日もSNSは大荒れで、同じ超人たちからも変人扱いを受け、彼女のロイス・レイン(レイチェル・ブロズナハン)との関係もギクシャク気味。そんなある日、彼を目の敵にする悪の天才レックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)の陰謀が炸裂するのであった。

 ともかく私は、本作の度胸の据わり方を賞賛したい。この映画は勧善懲悪のスーパーヒーロー映画であり、大予算のサマームービーだ。しかし同時に、本作には非常に力強いメッセージが込められている。この映画でスーパーマンに立ち塞がるのは、怪獣や悪の組織だけではない。現実の社会でも横行する差別であり、フェイクまみれのSNSであり、ガザやウクライナといった世界中で起きている虐殺であり、とんちんかんな方向に転がるアメリカの某資産家だ。現実の問題にまっすぐと目を向けた姿勢からは、作り手たちの「まっすぐ正義を語る映画を作ろう!」という気合を感じた。こうした現実の様々な悪に対して真っ向勝負を挑み、ボロボロにされても希望を捨てずに戦い続けるスーパーマンは、気高く、非常に人間くさい。応援したくなること必至である。「彼のようなスーパーパワーは持っていなくても、それでも彼の側に立っていたい」観客にそう思わせるだけパワーがあるのだ。そして、そう思わせたなら……この映画の存在意義は果たされたと言えるだろう。

 一方で、明らかに現実のイー……某資産家をモデルにしていると思わしき悪役、レックス・ルーサーも素晴らしい。素晴らしい技術と才能を持ちながら、性根がものすごく曲がっていて……どこか悲劇的ですらある。何でも自分の思い通りになると思っていて、思い通りにいかなければ、感情のまま怒鳴り散らす。世が世なら「こんな子どもじみた天才大富豪がいるものか」と思われるかもしれないが、幸か不幸か、実在することを私たちが生きる現実が補完してくれている(この数年、それこそSNSのおかげで、数々の天才や偉人の醜態を何度も目撃しているのだから)。まさに今の世に相応しい悪だ。演じるニコラス・ホルトの演技も最高である。予告にもあるスーパーマンの要塞に乗り込むときの堂々とした態度と、追い詰められてテンパりまくるシーンが地続きに見えることは偉業と言っていい。イーロン……某資産家という具体的なモデルがあるにしろ、ニコラス・ホルトはレックス・ルーサーというキャラを見事に演じ切った。

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