生田斗真、役者としての四半世紀 『俺の話は長い~2025・春~』が映す円熟のかたち

3月30日、4月6日の2週にわたり、日本テレビ系にてスペシャルドラマ『俺の話は長い~2025・春~』が放送される。主演を務めるのは、生田斗真。1990年代後半からキャリアを積み重ねてきた彼はいま、着実に“ベテラン”の域へと歩みを進めている。
1996年、11歳でジャニーズ事務所に入所した生田は、NHK教育『天才てれびくん』のてれび戦士として2年間出演し、芸能活動をスタートさせた。デビュー当初から視線を惹きつける独特の存在感があった。俳優としての初出演は、1997年のNHK連続テレビ小説『あぐり』。端役ながらも、幼い彼が放つ繊細な表情には、子どもというより“役者”としての資質がすでに宿っていたようにも感じられる。そして2007年、『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』(フジテレビ系)で演じた中津秀一は、彼の転機となる役だった。屈託のない笑顔と突き抜けた明るさ。それだけでなく、一人芝居のシーンにおける抑揚や緩急は、まだ若手だった彼の中に眠るポテンシャルの一端を明確に映し出していたように思う。
2010年、映画『人間失格』での映画初主演を皮切りに、生田はより深く内面を掘り下げるような役柄に挑むようになる。大庭葉蔵という極端なキャラクターは、まさにその象徴だった。太宰文学の繊細さと退廃を背負いながら、スクリーンに立つその姿からは、葛藤を生きる人間のひりつくような痛みが垣間見える。肯定的な評価ばかりではなかったが、それでも“やりきる”姿勢に、生田らしさが宿っていた。その後も『源氏物語 千年の謎』『脳男』『彼らが本気で編むときは、』といった作品において、ジャンルを問わず挑戦を重ねていく。特に『彼らが本気で編むときは、』でのトランスジェンダーの女性・リンコ役は、彼の演技の幅を証明するものだった。声のトーン、所作、佇まいなど、すべてを細やかに積み上げることで、観る者の記憶に残る人物像を形作っていた。

そしてキャリアを重ね、再び“岸辺満”として帰ってきた生田。やはりどこか“そのまま”だった。2025年春、日本テレビの夜、懐かしさと継続が入り混じった時間が、画面の奥に静かに流れていく。屁理屈を武器に、自分を守りながらも誰かのために生きようとする無職の男。華もない。英雄でもない。けれど、どこか共感してしまう“普通”の男。そんな岸辺を、生田は力みなく演じてみせる。テンポの良い会話劇の中で「どこかにいそうだ」と思わせること。それは演技というより、滲み出る何かに近い。目線、呼吸、間。派手な演出がなくとも、語らずとも伝わるものがある。





















