【朝ドラ座談会】テーマが素晴らしかった『虎に翼』、緻密な作劇を評価したい『おむすび』

『虎に翼』『おむすび』を評する朝ドラ座談会

 これまで朝ドラことNHK連続テレビ小説を観たことがない層の心も射止め、ひとつのブームを作り出したと言っても過言ではない『虎に翼』。一方、9月30日から始まった『おむすび』は、作品の肝となる阪神・淡路大震災を冒頭から描かなかった巧みな構成もあり、少しずつ視聴者の熱を獲得している印象だ。9月に掲載した座談会(【ドラマ座談会】生方美久&吉田恵里香の共通点は? 宮藤官九郎ら脚本家のいまを考える)の“答え合わせ”的な形で、最終回を終えた『虎に翼』、そして現在放送中の『おむすび』について、ライターの成馬零一氏、田幸和歌子氏、木俣冬氏の3名に語り合ってもらった。

『虎に翼』は尺が足りなかった?

――『虎に翼』が残りあと1カ月ぐらいのタイミングで座談会を開催いたしました。最終回を迎え、新作『おむすび』がはじまっているいま、この2作をどう評価されていますか?

成馬零一(以下、成馬):リアルサウンドで座談会をしたのは、『虎に翼』の新潟編の頃でしたよね。新潟編のキーマン・美佐江(片岡凜)をその後、どう描ききるかで、この作品の評価が決まると思って最後まで観ていました。

【ドラマ座談会】生方美久&吉田恵里香の共通点は? 宮藤官九郎ら脚本家のいまを考える

かつて、シナリオ本は売れないと言われていた。シナリオはあくまで設計図で、完成品(映像)ではないと認識されていたからだ。ところが最…

木俣冬(以下、木俣):成馬さんは“美佐江推し”でしたね。

成馬:彼女が一番面白かった。片岡凜さんの演技が良かったからか、作者の想像を超えた面白いキャラクターだったと思います。想定外のキャラクターが役者の魅力で役割以上の魅力が生まれるのは朝ドラの醍醐味ですよね。終盤で美佐江の娘・美幸(片岡凜・一人二役)が登場すると宗教二世の話みたいになるのですが、できれば美佐江と対峙してほしかったです。『虎に翼』はあとから意外な事実が出てきましたよね。例えば、轟(戸塚純貴)が同性愛者で花岡(岩田剛典)が好きだったという話が戦後にふいに出てきました。『虎の翼』は意識的に「引き」を作らないようにしていて、劇中で問題や衝突が起きると、大体はその週で解決する。その「引きのなさ」に朝ドラとして物足りなさを感じて、もっと葛藤を引っ張ればいいのにと思うことが多かった。美佐江だけは新潟編で問題が完結せずに話が続いたので、最終的にもっとも重要なキャラクターになるのかなぁと期待したのですが、消化不良な結末だったと感じました。だから物語ではなく、扱っているテーマの素晴らしさが評価された作品だったのかなぁと思います。これまで朝ドラで描かれていなかったテーマや史実の出来事をどれだけお皿の上に乗せられるかというところで勝負していた作品で、その点においては成功でしたが、その結果、物語の魅力が置き去りになってしまったように思います。

田幸和歌子(以下、田幸):後半は消化不良のまま進んでいくようなところが多かったことには私も同意します。それぞれもう少し物語を書き込んでほしいと思う人物やエピソードはたくさんありました。とりわけ、後半になると尺が足りなくなって描ききれなかったのかなと感じました。それだけ描きたいことが多すぎたのでしょう。世の中における全ての差別や目に見えない偏見に着目することを第一義にして、これまで朝ドラ、あるいは様々なドラマで描いていないことを全部書くことを目的にしたがために、あらすじのようになってしまった面は否めないとは思います。

木俣:『民王R』(テレビ朝日系)初回の世の中に物申す演説部分が受けていましたが(それ以降はあまり受けていないようですが)、言いづらいことを言ってくれることを視聴者が喜ぶのは『虎に翼』がまさにそれだったし、『不適切にもほどがある!』(TBS系)もそうでしたよね。そういう流れを見ると、あらかじめ何が言いたい作品なのか、方向性を見せてくれるものが好まれるのかなと。だからなのか『おむすび』はどこに向かっているのか、何がテーマなのかわからないことを物足りないと思う視聴者がいる。ドラマの出来不出来が、答えをいかに早く提示するかでジャッジされてしまう。観ながら徐々に判明するのが物語の醍醐味なのではないのかなと不思議な気持ちになります。

田幸:クオリティの高い作品はこれまでの朝ドラにもいくつもありますが、『虎に翼』に関しては原爆裁判の判決文を、NHKの朝ドラという枠でそのまま読み上げたことのみでも特別な意味があると思っています。いまを生きる私たちは原爆裁判のことをほとんど知らず、あるいは知っていた人も忘れていて、完全に忘れられた存在でした。裁判の記録が近年破棄されて記録が残っていないことは相当危険なことで、現在進行形で司法が破壊されていることに警鐘を鳴らすという意味は大きかったと思います。その後、ノーベル平和賞を被団協が受賞するという偶然が重なった。これも優れたエンタメの持つ力だと思います。その直後ということもあり、緩やかな時間の流れで薄い内容から始まった『おむすび』が物足りないという世間の意識が生まれてしまった。

成馬:「メッセージが素晴らしいからこの作品は素晴らしいのだ」という評価ばかりが全面に出ている状況は、ドラマ評論としては貧しいですよね。そういう見方しかできない人は『おむすび』の豊かさに気付けない。

『虎に翼』と『あまちゃん』の共通点

木俣:吉田恵梨香さんは彼女なりの想像力や書きたい言葉やセンスみたいなのはあるけれども、『虎に翼』ではテーマ性やメッセージ性を優先したような気がします。それにはおそらく理由があって。そのひとつが、今回、NHKの解説委員の清永聡さんが取材データを膨大に持っていたことです。彼が世間に伝えたい事実の力がものすごく強かったから、物語が引っ張られたのはないかと感じます。「判決文は残る」というセリフを何度も何度も登場人物が言っていて。清永さんの想いが、吉田さんにそのセリフを書かせたんじゃないかと想像が沸くんですよ。最近になって出てきている話が、『虎に翼』は高齢の男性も多く観ていたというもので。知性と教養と地位のあるおじさまたちにも受けたのは、清永さんのデータによるものでしょうね。

成馬:穂高教授(小林薫)みたいなおじさんが視聴者にいっぱいいるってことですよね。まぁ、『虎に翼』で一番批判されていたのは穂高教授ですよね。寅子のお父さん(岡部たかし)にしてもそうで、女性の生きづらさを表面的には理解してくれるけれど、その寛大さが実は家父長制度によって温存されている権力構造によって成り立っているのを暴いたのが『虎に翼』なんだから、本当はその人たちが一番観ていて痛いはずなんですけどね。

田幸:吉田さんがインタビューで、穂高は保守ではなくて古いリベラルの人だと言っていました。『虎に翼』では法曹界の人やリベラルな人など、発言力のある人たちが朝ドラ語りに入ってきた印象はありますよね。

成馬:『あまちゃん』の時にも同じことを感じたんですよね。

木俣:サブカル界隈が急に朝ドラに入ってきて……。

成馬:『あまちゃん』を肴にしてアイドルや震災についての持論を披露したい人たちの語りが大きくなる一方で、ドラマ表現としての『あまちゃん』についてはあまり語られないまま終わってしまったなぁと放送当時は思いました。宮藤官九郎さんの時間軸が入り組んだ複雑な脚本や井上剛さんのリアルに作り込んでいるのにどこかファンタジックな映像など表現として語る部分の多い作品だったのに、ドラマとして観られていなかったというか。朝ドラとしても『あまちゃん』は再現性が低い、その場限りのお祭りみたいなもので、今の朝ドラに影響を与えているのは、実はその後の『ごちそうさん』なんですよね。

田幸:『虎に翼』と『あまちゃん』は社会現象になったという意味で近いと思います。さらに振り返ると『おしん』もそうですよね。『おしん』はあれだけ社会現象になったにもかかわらず、きちんと論考されているものが全然ないとプロデューサーの小林由紀子さんも言っているほどなんです。

木俣:劇中、おしんたちが食べた大根飯がブームになりました。橋田壽賀子さんが書きたかった戦後から高度成長期を振り返るということが伝わらず、大根飯に消費されてしまったというようなことをあちこちで語っていますよね。結局は広く大衆の心を捉えるためにはキャッチーなものが大事なのでしょう。例えば、井上ひさしさんは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という考えで作品を作っていました。彼は朝ドラを書いていませんが、その弟子筋の長田育恵さんが『らんまん』で井上イズムを継承した印象です。『おむすび』はギャルや栄養士でそれをやろうとしているようにも思いますが、時系列を入れ替えて、あとから理由がわかるようにするなど、単純なようで難しいことにトライしている。「なぜあえてそれをやる?」とむしろ面白くなってしまっています(笑)。

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