『まどマギ』以降の魔法少女たちは“正義”をどう描いた? 2010年代から『マジルミエ』まで
まず主人公が魔法少女ではなく、むしろ悪役の側として行動する作品が挙げられる。現在放送中の『アクロトリップ』、あるいは先日第2期制作が決定した『魔法少女にあこがれて』がそれに当たるだろう。これらの作品に共通するのは、まず主人公が魔法少女に対して強い憧れの感情を抱いていることにある。ここで興味深いのは、どちらの作品においてもそれが「魔法少女になる」ということによって達成されるのではなく、「悪役になる」という反転した結果に収束することである。彼女たちはかつての魔法少女ものに極めて近いしかたで――すなわち半ば強制的に――、悪役のロールを背負うことを迫られる。
ここで彼女たちを動機づけるものは、「魔法少女が戦う姿を見たい」という願いである(もっとも『まほあこ』に関しては、その深層に主人公・うてなのサディスト的な気質があり、やや複雑である)。この反転が興味深いのは、ここまで見てきたような明確な悪役を描けないことを内面化していることだ。またそしてこのことは、魔法少女たちが戦う動機を生むことにも成功している。彼女たちは自身の憧れである——それは今日的に言えば「推し」でもある——魔法少女たちが自分たちと戦うように仕向ける。悪役を主人公に置きながら、あくまで魔法少女たちの動機づけへと向かっていくこのねじれは、『まどマギ』以降の魔法少女ものの達成として考えることもできるだろう。
あるいはもう一つ、同様に今期放送されている『株式会社マジルミエ』がある。本作の世界では「魔法少女」が職業となっており、彼女たちは「怪異」と呼ばれる自然災害の一種を駆除するために変身し、戦っている。とりわけ筆者が興味深いものと捉えているのは、職業として魔法少女が位置付けられていることだ。これまで多くの場合、魔法少女ものにおいて「社会」の存在は描かれてこないか、あるいは学校といった自身の周囲の環境のみが描かれてきた。無論『魔法少女リリカルなのは』のように時空管理局といった組織の中に魔法少女が位置付けられる場合はあったが、それでも時空管理局がその存在を明らかにするかたちで社会に直接資することはなかった。
すなわち本作において重要なのは、社会というこれまで魔法少女を取り巻いてきたのとは全く別種の、しかしながら我々に馴染みがあるシステムの中に位置づけていることだ。社会というシステムに「職業」という形で組み込まれて初めて、魔法少女たちには敵=自然災害(怪異)から社会を守るという本人たちに依存しない動機が与えられる。それによって『まどマギ』以降単純には設定できなくなった「悪に対抗する構図」がようやく成立するだろう。『マジルミエ』の達成については怪異や怪獣を災害と見なす特撮作品の伝統といった他ジャンルとの関係を考慮する必要があるが、なんにせよ本作が魔法少女ものの新たな地平を開く鍵となる可能性は大いにある。
『まどマギ』が「メタ・魔法少女もの」としての立ち位置を確立して十余年が経った現在、こうした作品が『まどマギ』以降の新たな魔法少女ものの潮流として歴史の中に位置付けられるポテンシャルは十分にあるだろう。いずれにせよ今後「魔法少女もの」がどのような経過を辿っていくのか、引き続き見ていく必要があることは、疑う余地がない。