『おむすび』の“複雑な構成”を応援したい “あの日”とともに失われた古き良き日本
2004年の糸島ではどこかギスギスしている米田家だが、9年前、神戸にいたときはほのぼのホームドラマのような家族だった。朝ドラことNHK連続テレビ小説『おむすび』第4週「うちとお姉ちゃん」(演出:小野見知)では、突然の歩(仲里依紗)の帰還をきっかけに、これまでも時々匂わせていた、「あの日」に遡るーー。
テロップは「平成6年」とだけあるが、西暦では1994年。米田聖人(北村有起哉)と愛子(麻生久美子)と5歳の結(幼少期:磯村メアリ)と16歳の姉・歩(少女期:高松咲希)が仲睦まじく暮らしていた。この頃の結は、やさしいお姉ちゃんが大好きだった。お母さんは絵が上手で、結の大好きなセーラームーンの絵を描いてくれて、お父さんは皿洗いなどもして家事にも協力的。糸島から出てきて17年、よそ者として理容室を営みながら神戸の街にだいぶ馴染み、商店街のアーケード設置のプロジェクトの世話役を任されるところまで信頼を得ていた。
かすかに漂う「よそ者感」という遠慮感は体験した者にはよくわかる。聖人は福岡から来て、愛子も愛知出身で、夫婦共々、神戸ではよそ者だから、昔ながらの商店街に馴染むために気遣ってきたのだろう。愛子も関西弁で、聖人のイントネーションもうっすら関西弁に影響されている。郷に入れば郷に従う。彼らを取り囲む商店街の人たちは、キムラ緑子、内場勝則、新納慎也と関西出身俳優が集まって、ネイティブとそうではない者の言葉の違いが明確だ。
東京――(下町は別として)はもともとよそ者の集まる場所なので、昔からいる人への気遣いが少なくて済むし、コミュニティの密度が薄い。一方、地方都市はその土地に先祖代々暮らしている歴史に根ざしたコミュニティが色濃いものである。
神戸は港町という性格上、いろいろな人達が集まる場所のイメージがあり、聖人たちも比較的受け入れてもらいやすかったかもしれない。お惣菜のお裾分けなど、いかにも濃密なご近所付き合いである。ただ、結も歩もここで生まれたから関西弁をしゃべっている。この土地で生まれた子どもの存在が土地との関わりを強める要素のひとつになる。子はかすがいとはよく言ったもの(ちょっと違う)。
回想は1994年からはじまって、すぐに1995年の1月がやってくる。日めくりカレンダーは1月13日。「あの日」がひたひたと近づいてくることを感じる。だが、物語はそのまま時系列で進まず、いったん2004年に戻る。そこでは糸島フェスティバルというハレの場である。ハギャレンのメンバーたちとパラパラを披露する結。もともとハギャレンは歩が総代をやっていたギャルのグループで、でも聖人も、結も、歩のその行動を毛嫌いしていた。1994〜95年の頃の歩にはギャルっぽさが微塵もない。いったいいつから彼女はギャルになったのか。その謎はまだ明かされない。
2004年の現在、久しぶりに戻ってきた歩は、かつてのライバルの天神乙女会の明日香(寺本莉緒)に自分は「ギャルじゃなかった」と思わせぶりな言葉をつぶやく。こういう構成はおそらく、夜のドラマであればテレビっ子たちによるライトな考察でネットがひと盛り上がりしたのではないだろうか。だが、『おむすび』は朝ドラである。不特定多数の老若男女が観ている枠で、時系列を行き来させたり考察的な要素を撒くと、ついていけず混乱する視聴者もいるだろう。金曜日はパラパラを踊り、会場と一体化して満足したところで終わっても良かったように思うが、結の憧れの風見先輩(松本怜生)に彼女がいたというがっかりを結は味わい、さらにそれを四ツ木(佐野勇斗)が慰めて、そこから再び1995年の回想、結と家族がなぜぎすぎすしているのかという本題へーーというシンプルではない構成になっている。それについていけない視聴者もいるのは制作者はわかっているだろう。それでもなぜ、あえて挑むのか。