『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』北米No.1もなぜ“苦戦”? 興収と評価を真剣に分析する

『ジョーカー2』北米No.1もなぜ“苦戦”?

 映画『ジョーカー』(2019年)の続編、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が10月4日に北米で公開され、世界的に大きな話題を呼んでいる。週末3日間の興行収入ランキングではNo.1発進となったが、事前の予想を覆す興収と評価が争点だ。

 ホアキン・フェニックス主演、トッド・フィリップス監督が続投した『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、新たにレディー・ガガをヒロイン役に迎えてジャンルを一新。前作は『タクシードライバー』(1976年)や『キング・オブ・コメディ』(1983年)などのマーティン・スコセッシ監督作品に影響を受けた犯罪映画だったが、今回はミュージカル要素を取り入れての新機軸となった。

 10月4日~6日の北米オープニング興行収入は4000万ドル。これが事前の予測を大きく下回ったことは事実で、ワーナー・ブラザースは当初7000万ドルを目指せると発表していたが、のちに5000万~6000万ドルと下方修正した(ライバル企業は4500万ドル程度と予想していたともいわれる)。ただし、予測値で根拠なしに見栄を張る必要はまるでない――結局は公開後すぐに現実が突きつけられ、今回のようにギャップが大きいほどダメージも大きくなるからだ――ため、ワーナーが初動成績7000万ドルを狙っていたことには一定の根拠があったのだろう。

 前作『ジョーカー』は初動成績9620万ドルなので、今回は4割程度の数字にとどまったことになる。前作は世界興収10億ドルを突破する大ヒット作であり、R指定映画としては『デッドプール&ウルヴァリン』(2024年)の登場までは歴代記録を保持していた。もっとも現状を見るかぎり、本作が同じ道筋を歩むのは難しい。

 しかし、初動興収4000万ドルという成績は、『ジョーカー』の続編としては期待はずれだったかもしれないが、ケタ外れに低い数字ではない。本作の興行分析がいつになく厄介なのは、メディアの論調がやたらと扇動的であるためだ。同等の成績で週末No.1に輝いた作品は今年いくつもあるが、それらはここまで騒ぎ立てられなかった。まるで本作が期待通りのヒットとならなかったことを、メディアやジャーナリスト、読者が喜んでいるかのようでさえある。

 比較対象として挙げられているのは『マーベルズ』(2023年)や『ザ・フラッシュ』(2023年)。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』のオープニング成績が両作を下回ったことは事実だが、まともに映画を観ていれば(いや観ていなくとも)、これら2作との間に「コミック原作」以外の共通点がないことは明らかだ。本作はアクションでもコメディでもなければ、ファミリー映画でもなく、既存のユニバースの一部でもない。むしろ、独立した作風とストーリーが『ジョーカー』の魅力であり、前作はそれこそがヒットの要因とみられていたのではなかったか。

 むしろ検討するべきは、前作からの5年で映画興行がどのように変化したかだろう。コロナ禍や配信サービスの隆盛を受け、コミック映画自体の求心力が下がり、大人向けの映画も興行的に苦戦するようになった。また、映画興行として「ミュージカル映画はヒットしづらい」という傾向があることも見落とせない。ワーナーは『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(2023年)と同じくミュージカル要素をアピールしない戦略を採ったが、言わずもがなそれにも限界はあるのだ。

 もともと前作で完結していたかのように思われていた『ジョーカー』の続編、大人向け映画としての作風、そしてミュージカル。これらの要素を組み合わせたとき、興行として思わぬ逆風が吹いた可能性はある。幸い、海外市場では期待通りの8110万ドルを記録し、世界興収は1億2110万ドル。ここから興行をいかに転がしていけるかが問題である。

 しかしながら、興行の足を引っ張るのが批評家と観客の評価だ。Rotten Tomatoesでは批評家スコア33%、観客スコア31%。ヴェネチア国際映画祭のワールドプレミア後は批評家スコア60%だったが、公開直前に急落した。映画館の出口調査に基づくCinemaScoreでは「D」評価で、コミック映画史上最も低いスコアとなった(しかしながら、この比較に意味があると思えないのは前述した通りだ)。

 筆者個人の感想を述べれば、この映画は奇妙なまでに過小評価されている。前作『ジョーカー』が1本かぎりで完結しうる作品だったことは間違いないが、監督トッド・フィリップスと脚本家スコット・シルヴァーはその先に現在語るべき物語を発見し、前作と対になる構造をもって、「前後編」と言える2部作をつくりあげた。試みがすべて成功している作品ではないが(しかしそんな映画はほとんど存在しない)、「ジョーカー」というアイコンによって新たなストーリーテリングに挑み、作家の問題意識を描ききろうとした野心は稀有といっていい。

 しかし、フィリップス自身が「皆さんの期待した続編ではないかもしれない」と述べ、大胆な創作を支持したワーナーに謝意を表したように、これはコミックのジョーカーファンが期待したものでも、前作に熱狂したファンが望んだ続編でもなかった。けれども、人々が「ジョーカー」に期待するもの(=メディアや大衆の欲望)と実際の乖離を暴くことが作り手の本懐だったことは映画を観ればすぐにわかる。その射程は「ファンに冷や水をぶっかけることが目的」という程度ではなく、批評家やジャーナリスト、さらに広い社会や時代に対して向けられている。そして、それゆえに本作は厳しい状況に置かれることになった――そのような分析は、おそらくある一面では正しい。

 The Hollywood Reporterによると、ワーナーは本作の結果にがくぜんとし、落胆もしているというが、フィリップスの才能には「賭ける価値がある」と考えているとのこと。Rotten Tomatoesのリストを眺めてみれば、フィリップスの映画は『ジョーカー』や『ハングオーバー!』(2009年)などの数作を除き、いずれも賛否両論まっぷたつで、批判のほうが多いほど。「常にリスクを背負っていたい」という創作の姿勢を鑑みるに、前作よりも今回のほうが通常運転に近いのかもしれない。

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