白石晃士監督の問題作『サユリ』の独自性 日本のホラー映画界において異色作となったわけ
日本のホラー映画界に、とんでもない作品が殴り込みをかけにきた。押切蓮介原作、白石晃士監督の問題作『サユリ』である。果たして、ここまで超自然的脅威に対して挑戦的で、さらには明るく前向きな雰囲気を持ち、夕陽に向かって駆け出したくなるような日本のホラー作品が、かつてあっただろうか。ここでは、そんな異色過ぎるホラー映画『サユリ』の独自性や、現状が生み出した価値について考えていきたい。
※本記事では、映画『サユリ』の重要な展開についての記述があります。驚きを体験したい方は、観賞後に読むことをおすすめします。
白石晃士、安里麻里が脚本を書き、原作者の押切蓮介も新たなアイデアを提供したという物語は、祖父母と父母、子どもたちの7人家族で構成される神木家が、マイホームに住む夢を叶えて、郊外の中古一軒家へと引っ越してくるところからスタートする。そこでほのぼのとしたホームドラマが展開するのかと思いきや、次々と超常的な異変が起こり、家族の身に危機が迫るようになってくる。この家には以前の住人だった、この世に無念を遺す強力な怨霊「サユリ」が住み着いていたのだ。
現世での恨みを晴らそうと、理不尽にも神木一家を滅ぼそうとするサユリによって、最愛の家族に最悪の悲劇が起こり、長男の則雄(南出凌嘉)は打ちひしがれていく。しかし、ここで物語は意外な展開に舵をきることになる。認知症が進行して、家族の区別もつかなくなっていた祖母の春枝(根岸季衣)が突如として立ち上がり、則雄を蹴りつけるや、孫を叱咤激励するのである。そして、「復讐じゃ! わしらで地獄送りにしてやるんじゃ!」と、悪霊サユリに宣戦布告をするのである。
典型的なJホラーであるかのように描かれていた本作は、この瞬間から、一気に様相を新たにする。春枝は、おそらくは自分の青春時代にしていた格好である、ジャニス・ジョプリンをイメージした、タイダイ柄のヒッピーファッションに身を包み、ハイテンションで「命を濃くして立ち向かうぞっ!」と、則雄とともに飯をたらふく食い、体力づくりをし、家の掃除、整理整頓をし、太極拳のパワーと、地上波放送できないレベルの下品な掛け声で、サユリの呪いのパワーに対抗していくのである。
ここより始まる祖母と孫の師弟関係は、空手を題材にした映画『ベスト・キッド』(1984年)のミスター・ミヤギと少年の関係を想起させるものがある。つまりは、一部で「スポ根」路線へと突入していくのである。
最初こそ、ホラー設定を利用したただのギャグだと感じられるところがある本作だが、よくよく考えれば、その言葉や対処法には説得力があることに気づかされる。超常的な力を持つ悪霊とはいえ、生きている人間が本気になったときに比べれば、実行力に欠けるところがあるはずなのだ。霊が実在したとしても、高層ビルを建築することはできないし、オリンピックや甲子園に出場することも決してできない。おそらく夏休みの宿題すらやり遂げる力もないだろう。そう思えば、生きている人間の方が、やれることは多いのである。
『リング』シリーズの貞子は、作品外では映画のプロモーションのために始球式に参加したりするバイタリティはあるので、ある意味例外なのかもしれないが、“生きている”というアドバンテージを最大限に有効活用し、気合いで事態に向き合えば、普通の人間でも悪霊に力で向き合うことは可能なのではないのか。本作は、とくに日本のホラー作品で追及されることはほぼなかった、その可能性を模索していく。