『虎に翼』が伝える“踏みとどまる”ことの大切さ 戦争を次の世代に伝えていくために
朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第18週「七人の子は生すとも女に心許すな?」は放火事件の公判というリーガルドラマらしい展開で、そこに戦争から10年ほど経過してもなお消えない戦争の傷が滲んだ。いや、逆だろうか。癒えない戦争の傷を抱えた人々が、放火事件をきっかけに隠していた互いの傷を見せ合い、そっと寄り添い合う、そんな物語でもあった。
戦後、日本で暮らす朝鮮人と日本人との軋轢、敗戦を予測していた総力戦研究所の存在、長岡空襲(8月1日)など、2025年で終戦から80年を迎えるいまこそ、しっかりとこれからの世代に伝えていかないといけない出来事の数々が物語のなかに大胆に練り込まれていった。戦争というと、広島や東京大空襲が題材になることが多いが、それだけではないのだ。無数の人たちがそれぞれの土地で、それぞれの立場で戦争に向き合ってきた。
寅子(伊藤沙莉)と航一(岡田将生)が見学に来た麻雀大会で、優未(竹澤咲子)に長岡空襲で亡くなった娘と孫の面影を見たらしい杉田太郎(高橋克実)が号泣したのも突然ならば、それをきっかけに航一が「ごめんなさい」と謝ったのもあまりにも突然だった(第17週、第84話)。なぜ航一は太郎を抱きしめて謝ったのか、疑問に思った寅子は、ぶしつけを承知で戦争のときに何かあったのかと尋ねるが、航一は答えない。その答えは第90話、雪の日に明かされた。
麻雀大会の夜、街のピンボール場が火事になり、経営者である朝鮮人が保険をかけたうえ放火したのではないかと容疑がかかる。公判で、朝鮮人に不利な証拠――「燃やした」という言葉が書かれた手紙が提出されたが、寅子は文章におかしな点を発見する。朝鮮人である香子/香淑(ハ・ヨンス)の協力によって、「燃やした」という単語にある前置詞がつくと「気を揉む」に変化することがわかり、容疑が晴れた。
この公判の合議を寅子と航一とともに行った若者・入倉(岡部ひろき)は朝鮮人に対して先入観を持っていた。よくよく聞けば、自身は偏見をもたず普通に接してきたつもりが、朝鮮人が日本人に偏見を持って接しているように見えるため、おのずと身構えてしまうようなのだ。
極論を言ってしまえば、戦争によって、国同士がいがみあい、支配したりされたり、その状況によって相手への心象は変わる。友好国同士であれば友好だし、敵対していれば反感もわくだろう。だが、例外もあって、香淑が偏見を超えて、日本人の汐見(平埜生成)を愛し結婚するようなケースもある。その一方で、小野(堺小春)のように周囲の反対を気にして朝鮮人との婚約を破棄するケースもある。
戦争によって太郎のように大事な人を亡くしてしまった人もたくさんいる。寅子も家族を亡くしている。そうなると、敵、あるいは戦争というものへの思いは複雑だ。多大な悲劇を生んだ戦争を止められたかもしれないと悔やんでも悔やみ足りずにいたのが、航一だった。
戦前、優秀な者たちがひそかに集められ、内閣直結の「総力戦研究所」なるものが作られていた。航一もその一員であった。そこで行われていたのは、軍を指揮する人材の育成で、その一貫として戦争のシミュレーションーー机上演習が行われた。優秀な頭脳を持ち寄って考えた結果、日本は負けることが導き出された。が、報告を受けた政府は、結果を机上の空論として、戦争をやめなかった。なんのための研究所なのかと思うが、おそらく目標はただひとつ、勝つためだけのものであり、負ける結果を導き出すことは許されなかったのであろう(あくまで推測です)。
寅子が第84話で、入倉に「いやな行動されて気分が悪くなるのは当たり前。でも入倉さんは踏みとどまれているじゃない」と言っていた。総力研究所の存在は、踏みとどまるきっかけになったかもしれなかった。にもかかわらず、日本は踏みとどまらなかった。
大事なのは「踏みとどまる」ことーー異なる考えを持つ相手へ攻撃しなきものにしたくなる感情を抑制することを我々人類は身に着けなくてはいけない。『虎に翼』を観ているとそう思う。