『もし徳』は一級品のエンタメコメディ! 野村萬斎の“声”が日本人のDNAを刺激する

『もし徳』野村萬斎の声がDNAを刺激する

 筆者がもっとも興奮したのは、坂本龍馬と土方歳三(山本耕史)が共闘するシーンである。幕末のあの時代には宿敵同士だった2人が、バディを組んでいるのだ。『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』が、手を組んでいるのだ。筆者のような司馬遼太郎フリークなら、涙でスクリーンが霞むシーンである。土方役にはおなじみの山本耕史が、「土方歳三用のカツラ(そういう物があるらしい)」をかぶって登場してくれる点も嬉しい。

 そしていよいよ、野村萬斎演じる徳川家康である。この家康を観るだけでも、映画代2000円中1500円ぐらいの価値がある。狂言師・野村萬斎の声音、発声、姿勢、歩法、そして佇まいや表情に至るまで。そのすべてが、日本人のDNAにダイレクトに響く。

 物語のクライマックスにおいて、家康が日本国民の前で演説を打つ。メッセージ色の強い作品において、主人公が言わば監督の代弁者として、長い演説を繰り広げるシーンは、たまに見受けられる。だが、その手法は極めて危険だ。せっかく盛り上げてきたのに、「ラスト説教かよ!」で終わる可能性もある。また、本来登場人物の行動や言動から「匂わせる」、「読み取らせる」べきメッセージを、直接説明することの無粋さを、指摘されるかもしれない。

 ラストを演説にした作品の成功例としては、『チャップリンの独裁者』(1940年)や『ロッキー4/炎の友情』(1985年)などが思い出される。この2作が成功した理由は、演説自体の内容もさることながら、役者の力によるところが大きい。タイプは違うが、チャールズ・チャップリンとシルヴェスター・スタローンという名優であったからこそだ。これを、下手な役者がやるとどうなるか。観衆は、「結局説教かよ!」と腹を立て、腕時計をチラチラ見るようになり、妻が退屈していないか顔色を伺い、余ったポップコーンを食べ切ることに専念し、挙句の果てにはトイレタイムとの判断を下してしまうのだ。

 野村萬斎はどうか。もちろんチャップリン側であり、スタローン側だ。先述の通り、演説中の野村萬斎の声音、発声、節回し、表情や姿勢に至るまで、すべてが日本人の琴線を刺激する。いつまでも観ていられる。いつまでも聴いていられる。アニメ『鬼滅の刃』において、鬼殺隊頭首・産屋敷耀哉の声質を、「1/fゆらぎ」と解説している。この声質が、彼のカリスマ性を形成する大きな要素であると。野村萬斎の声にも、この「1/fゆらぎ」が備わっているのではないか。

 クライマックスの家康の演説内容については、ネタバレになるので書かない。ただ、この作品を最後まで観て思うことは、我々はやっぱり日本という国が好きだということだ。だからこそ、いつの間にかダメな国になりつつある日本を、他人事のように眺めていてはいけない。そんなことを、龍馬や家康に教えられた。「他人に期待するだけじゃいかんき。自分に期待するがぜよ」という龍馬のセリフが、頭から離れない。

■公開情報
『もしも徳川家康が総理大臣になったら』
全国公開中
出演:浜辺美波、赤楚衛二、GACKT、竹中直人、野村萬斎
原作:眞邊明人『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(サンマーク出版)
監督:武内英樹
脚本:徳永友一
音楽:Face 2 fAKE
配給:東宝
©︎2024「もしも徳川家康が総理大臣になったら」製作委員会
公式サイト:https://moshi-toku.toho.co.jp/
公式X(旧Twitter):@moshi_toku
公式Instagram:@moshi_toku

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