『虎に翼』寅子と『エヴァ』アスカは似ている? 理屈では片付けられない激情と言葉

『虎に翼』寅子と『エヴァ』アスカは似てる?

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)の第14週「女房百日 馬二十日?」では、長年法曹界で活躍した星長官(平田満)と穂高(小林薫)が次々と鬼籍に入っていく。

 星は自身のことを「出涸らし」と言い、若者へ道を譲るにあたり出涸らしなりにできることをと考えたのか、過去に出した民法の書籍を、改正された時代に合わせ改訂版として出版する。それを手伝うのが、若い世代の寅子(伊藤沙莉)と星の息子の航一(岡田将生)である。星は、寅子の原稿を褒め、書籍の表紙に名前も載せる。それが寅子にはとても嬉しい。星の書籍の法律に関する文章はすばらしく、寅子は尊敬してやまない。亡くなった父・直言(岡部たかし)の亡くなる前と星を重ねたりもした。

 一方、穂高である。年をとり体調も優れない彼は引退することになり、送別会が行われた。そこで、穂高は、女性の登用に尽力したことや、尊属殺の判決に意義を唱えたことなど、前例を覆そうといろいろやってきたが及ばず、「雨だれの一雫に過ぎなかった」と自己を顧みる。その挨拶に寅子は怒りを覚え、花束を渡さず会場を飛び出す。気にして追いかけてきた穂高に、かつて自分たち女性たちを法学部に招き寄せた末、早々と女性の募集を打ち切ろうとしたり(穂高はそれに猶予を求める側だったのだが)、寅子が妊娠したとき、仕事を休んで子育てに専念するよう促したりしたことを「雨だれになることを強いた」と表現して、ゆるさないと言い放った(第69話)。

 事前の第68話で寅子は、星の本を読んで「新しくて理想的なことを行うためには相当な工夫や努力を必要とすることを、学生時代からわかっているはずなのに、うまくいかないと腹が立つ」と愚痴を航一に言っている。つまり、寅子もほんとうは穂高の「雨だれ」理論の意味をわかっているのだ。でもどうにも自分の感情を抑制できないことを悩んでいたときに、穂高がまた「雨だれ」と言い、しかも、穂高ほどの力のある者ですら社会に大きな一打を与えることができないまま引退していく現状に、どうしようもなく悔しさを覚えたのであろう。

 しかも、同じく第68話で「うまくいかなくて腹が立っても意味はあります」と肯定されてしまったものだから、ついつい正直になってしまったのかもしれない。といって、あんなふうに感情的かつ強い言葉で、老いた穂高を責めるのは、桂場(松山ケンイチ)に「ガキ」と忌々しく言われても当然であろう。人間平等なので、年齢差は関係ないとしたいところだが、やはりお年寄りには少し手加減したほうがいい。

 穂高は、傍若無人な寅子を怒るどころか、翌日、自ら謝罪にやって来る。そして、自身を古い人間であると認め、自分とは違い、既存の考えから飛び出し人々を救うことができる寅子を「心から誇りに思う」と言う。寅子が求めていたのは、これだったのだろう。寅子は矛を収めた。穂高は寅子から花束をもらわず、穂高がこれからの寅子に花をもたせた形である。

 思えば、最初に寅子が穂高と出会ったとき、自分の疑問を遮らず話を聞いてくれ、おもしろがってもくれて、女子部法科に入ることを勧めてくれた。それが寅子の自尊心をくすぐり、生きる気力を沸かせたのだ。ところがそれ以降、穂高はちっとも寅子を認めてくれず(内心はわからないが言葉で褒める場面はとくにない)、むしろ気を削ぐようなことばかり言っていた。

 寅子個人をちゃんと見てほしいのに、寅子を雨だれのひとつとしか見てくれていないことを悲観するのは、『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカの「だから、私を見て、ねえママ!」みたいな感じではないだろうか。みんながアスカを優秀だと褒めてくれるのに、ママだけは私を見てくれないとこじらせてしまったアスカと寅子を、筆者は重ねてしまった。ただ、アスカは母との関係と自己肯定の悩みをテーマとして背負ったキャラクターだったので、彼女に心を寄せることができるのだが、寅子はそういう悩みを主題にしていないのでどうにもわかりづらい。

 寅子の穂高への感情的な反応は、轟(戸塚純貴)が花岡(岩田剛典)に対する自分でもよくわからない感情を、ある瞬間、自覚しはじめたときの、意外性に似ているように思う。とすれば、作者は意識的に、本人もわからない感情を描くことにチャレンジしているのかもしれない。フィクションではあまり描かれない、理屈で片付けられない感情やセリフを書くことにトライしていると考えれば、寅子の理屈に合わない言動も納得できる。

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