『不適切にもほどがある!』は暴力的な“笑い”を貫くのか “正しさ”より優先されるもの

“正しさ”よりも“笑い”の宮藤官九郎

 金曜ドラマ(TBS系金曜22時枠)で放送されている宮藤官九郎脚本の『不適切にもほどがある!』に大きな注目が集まっている。

 本作は、昭和61年(1986年)から令和の現在(2024年)にタイムスリップした51歳の体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)が巻き起こす騒動を描いたコメディだ。

 第1話冒頭「この作品には 不適切なセリフや喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」というテロップが表示される。

『不適切にもほどがある!』第1話 小川純子(河合優実)と小川市郎(阿部サダヲ)

 そして市郎が娘の純子(河合優実)に「おい! 起きろブス、盛りのついたメスゴリラ!」という不適切な言葉を投げつけ、純子も「うっせえなクソじじい!」と言い返す。

 今の映画やドラマでは描くことが難しくなった信頼関係があるからこそ成立する暴力的なコミュニケーションだが、思えば宮藤官九郎は、汚い言葉をぶつけ合うことで人と人の繋がりを描いてきた作家だったよなぁと『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『木更津キャッツアイ』(TBS系)といった初期代表作のことを思い出した。

 『不適切にもほどがある!』は昭和と令和の風俗や価値観の違いを対比して描き、そのギャップを笑いに落とし込んだコメディだ。乱暴でいい加減な部分がまだ多かった昭和に対し、何もかもきっちりとやることが求められ、四方八方からの批判に怯えるあまり、見えないルールにがんじがらめになっている令和の窮屈さがテレビ局を舞台に描かれる。

 昭和の価値観を体現する市郎の暴論を令和という時代にぶつけることで混沌とした祝祭空間が生まれるという本作の構造は、それこそ山上たつひこの『がきデカ』(秋田書店)や小林よしのりの『おぼっちゃまくん』(小学館)といった昭和のギャグ漫画のようだが、何より一番の見せ場となっているのが毎週登場するミュージカルシーン。

 「話し合いましょう。たとえわかりあえなくても」と唐突に歌い出すミュージカルシーンを第1話で観た時は唖然としたが、第2話以降になると、尾崎豊、ちあきなおみ、矢沢永吉といった歌手のヒット曲のパロディであることがはっきりとわかるようになるため、次はどんな歌が出てくるのかと、毎週楽しみになっている。

 第1話で市郎が「植木等?」と言う場面からもわかるように、おそらく本作は植木等の『無責任』シリーズをテレビドラマでやろうとしているのだろう。 

 『無責任』シリーズはクレイジーキャッツの植木等が演じる無責任で陽気な男が周囲を翻弄するコメディ映画で、劇中には突然歌い出す場面が多数ある、『日本一』シリーズ、『クレイジー』シリーズなど多くの派生作品が作られた高度経済成長時代の日本を象徴する人気映画シリーズで、今観ても植木等が演じる主人公の破茶滅茶ぶりには唖然とし、こんな暴力的な笑いが過去にあったのかと驚かされる。

 同時に『不適切にもほどがある!』を観ている時に感じるのは、歌あり笑いありのコントバラエティを観ている時の楽しさで、面白いドラマを観ているというよりは、面白いテレビ番組を観ている時の気持ちになる。だからこそ普段ドラマを観ない人の間でも話題になっているのだろう。

 宮藤の作品は歌やギャグが小ネタとしてちりばめられており、その場限りに思えた小ネタが実は物語のテーマと密接に繋がっているという構造になっている。

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