『不適切にもほどがある!』渚の母の正体が判明 痛快さに加えミステリーとしての面白さも

『不適切にもほどがある!』渚の母の正体

 まるで伝言ゲームのような連絡網。10円玉がいくらあっても足りない公衆電話に、見てくれることを祈って書き綴る駅の掲示板。スマホや携帯電話が普及する前は、人とつながることに結構な労力がいったものだった。だからこそ、その声が届いたときには心から喜びを覚えたし、“あの日、あのとき、あの場所で……”なんてすれ違っていった運命に思いを馳せたりしたもの。対して、簡単にメッセージを送ることができるようになった現代はどうだろうか。

 金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)第4話は、昭和から令和にタイムスリップした市郎(阿部サダヲ)がメッセージアプリを手にしたことで、見事にスマホ依存症になる様子が描かれた。市郎がメッセージアプリにハマってしまった大きな理由は、既読マークだ。先述したように、市郎の生きていた1986年は言葉を届けるのに、ある程度の手間が必要だったし、ちゃんと届いたかどうか不安になる手段も少なくなかった。その不安が一気に解消される既読マークは市郎にとって画期的なもの。だが、逆にせっかく届いたメッセージに対してリアクションをしない、「既読スルー」という対応に戸惑いを隠せない。

 なんでも体当たりでぶつかることを良しとする市郎の昭和的感覚からすれば、相手に届けようと発した言葉はすべて真剣そのもの。読んだのになんの音沙汰もなかったり、どんな意図かはっきりしないスタンプや、「承知しました」という機械的な返事にヤキモキするばかり。メッセージアプリ上での人との距離感がつかめずに連投する市郎に対して、関係者たちから「被害者の会」が結成されてしまうのだった。

 そんな市郎に向けて、今回のミュージカルパートでは〈SNSは本気で向き合う場所じゃない〉と歌が届けられる。考えてみれば、授業中に回ってくる他愛もない手紙のようなものと思えば、昭和の時代にも近い感覚のものがあったように思う。しかし、手から手へと渡される手紙と違って、スマホ画面に表示されるメッセージは膨大だ。そのぶん“真に受けてほしい”言葉も埋もれてしまってはいないだろうか。

 簡単に繋がることができない時代だったからこそ、それが叶ったときの喜びを市郎は知っている。令和から昭和にタイムスリップしたキヨシ(坂元愛登)が、スマホなしに市郎の娘・純子(河合優実)を見つけ出すことができたことに興奮するシーンが対照的に描かれたのも印象的だった。

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