『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』大ヒットだからこそ考えたい、戦争の描き方

 福原遥、水上恒司主演の映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』が大ヒットをとなっている。12月8日に公開以来、すでに興行収入は30億円を突破。国内興収ランキング(1月19日~21日)も『ゴールデンカムイ』、『劇場版 SPY×FAMILY CODE:White』に次ぐ3位をキープしており、まだまだ勢いは止まりそうにもない。

 筆者が観たのは公開初週の平日昼間だったが、ターミナル駅のシネコンはほぼ満席。エンディング近くになるとあちこちからすすり泣きが聞こえてきた。二度目は1月下旬に観たが、平日昼間でも7割ほどの入りだ。こちらでもすすり泣きが聞こえた。一回目はほぼ10代、20代の観客で占められていたが、二度目は中高年の客層が増えていたのも印象的だ。多くの人に作品の評判が届きはじめたのだろう。

 特攻隊員とタイムスリップした現代の女子高生の悲恋を描いた物語で、汐見夏衛による原作小説もシリーズ累計100万部を突破しているベストセラー。書籍も映画も「泣ける」という口コミが広がったのが大ヒットの要因である。特攻隊をテーマにした「泣ける」映画である本作の優れている点、描いていなかった点などについて考えてみたい。

以下、結末に触れる部分があります。

福原遥、水上恒司中心に熱演が光ったキャスト陣

 優れている点を挙げるなら、なんといっても出演陣の熱演だろう。冒頭、懸命に働くシングルマザーの母親に悪態をつくほど性格が悪かったのに、ラストでは別人のような明るい表情を見せる主人公・百合を演じた福原遥の健闘を讃えたい。けっしてセリフが多くない中、大きな目を駆使してさまざまな感情を表現していた。観客が思いきり「泣ける」のは、福原の演技に負うところが大きい。

 水上恒司は、質実剛健かつ知性のある特攻隊員・彰を物静かに演じてみせた。特攻を控えていても精神の不安定さは皆無で、いつも落ち着いて行動し、穏やかな声で語りかける彰は、現代からやってきた百合から見ても、ずいぶん頼りがいのある男性に映っただろう。同じく戦中の若者を演じているNHK連続テレビ小説『ブギウギ』と見比べてみるのも興味深い。

 特攻隊員を演じた伊藤健太郎、嶋﨑斗亜(Lil かんさい)、上川周作、小野塚勇人(劇団EXILE)も素晴らしい演技とチームワークを見せている。わちゃわちゃとしたやりとりから垣間見える兄弟のような親しみと友情、故郷に残してきた家族への断ちがたい愛情、敬礼したときに見せる折目正しさなど、特攻隊員はとにかく朗らかで優しくて礼儀正しい人たちなんだと強く印象づけていた。伊藤はキャリア十分の貫禄でチームを引っ張っているように見えたし、嶋崎は今後活躍の場が広がっていきそうだ。上川は次回のNHK連続テレビ小説『虎に翼』で主人公の兄を演じることが決まっている。

 特攻隊員とタイムスリップした女子高生をまとめて面倒見る松坂慶子の肝っ玉母さんぶり(彼女は正しい皇国臣民でもある)、百合の母を演じた中嶋朋子のひと目でわかる善人ぶりも素晴らしかった。『舞妓さんちのまかないさん』(Netflix)も記憶に新しい出口夏希は本作でも印象的な好演を見せている。

 VFXも効果的に使用されている。空襲のシーンも迫力があったが、彰が乗っていた戦闘機のボロボロさ加減がリアルで印象的だった。実際、状態の良い飛行機は戦闘部隊にまわされて、死ぬのが確定している特攻隊には状態の悪い飛行機がまわされた。なかには翼が布張りの練習機で特攻を命じられたこともあった。

原作からの脚色もプラスに

 脚色の上手さも本作の大きなポイントだろう。あらためて原作の小説を読むと、いろいろな部分において切っ先が鋭く感じる。特に現代のパートにおいて顕著で、怒鳴り散らしてばかりの百合の母親は穏やかな善人に、高圧的な教師も物わかりの良い人物に変えられている。戦中のパートでは登場人物の性格にほとんど変化はない。

 登場人物のセリフにおいても、全体的に丸める方向に舵がとられているように感じる。原作の序章で、彰は「愛する人たちを守るために、俺は死にに征くよ」と言う。映画での彰は、このようにはっきりと「愛する人のために死ぬ」などと言わない。内心、特攻を嫌っているんじゃないかと思わせるような思慮深い雰囲気を出している。原作の「この命を最大限に生かして、日本を、国民を救うんだ」という言葉もカットされていた。特攻の思想が映画では強く押し出されていないことがわかる。百合に宛てた最後の手紙でも、原作では何度も使われていた「戦争」という言葉が「平和」に置き換えられている。

 原作の百合はさらに主張が激しい。現代で特攻隊のニュースを見ているときは「くだらない」「自爆テロ」と悪態をつく。特攻隊をテーマにした映画『永遠の0』では、若者が特攻隊を自爆テロ扱いして、三浦春馬演じる主人公が泣きながら激昂する場面があった。これらのセリフはもっと柔らかいものへと変えられている。また、戦中で感じる「大切な人が国のために死んでも仕方ないなんて、言えるわけがない」「特攻をしたら極楽に行けるから、だから敵に体当たり攻撃をして死ね、って? 馬鹿みたい」などの怒りのモノローグもなくなっている。脚色によって全体がマイルドになっているため、物語の焦点が最後の「別離」に絞り込まれている。

 なお、原作では百合が彰に「特攻なんて、体当たり攻撃なんて、ただの無駄死にだよ」と迫る場面があるが、これは映画でもほとんど同じセリフが残されている。この作品は百合の心境と考え方の変化を描いているのであり、百合が特攻のことを「ただの無駄死に」と言ったからといって、それが本作の主張ではないことを留意したい。

 本作で描こうとしているのは、大きく二つの点である。一つは、特攻による悲劇的な別離。もう一つは、百合の変化である。どちらも非常にわかりやすく描かれている。

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