『どうする家康』『レジェバタ』『首』 戦国三英傑&明智光秀を演じた三者三様の俳優たち
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言えば、「鳴かぬなら、殺してしまえ/鳴かせてみよう/鳴くまで待とう、ホトトギス」、あるいは「織田がつき、羽柴(豊臣)がこねし天下餅。座りしままに、食ふは徳川」でお馴染み(?)、戦国時代の「三英傑」として広く知られた歴史上の人物だ。
振り返るに2023年は、1月8日から約1年にわたって放送された古沢良太脚本のNHK大河ドラマ『どうする家康』、1月27日に公開された大友啓史監督・古沢良太脚本の映画『レジェンド&バタフライ』(以下『レジェバタ』)、さらには11月23日に公開された北野武監督・脚本の映画『首』と、3パターンの「信長・秀吉・家康」を一年のうちに観ることができた、ある意味貴重な年だった!
そこで本稿では、それぞれの作品で「信長・秀吉・家康」を演じた俳優たちを改めてリストアップして整理・比較すると同時に、個人的な「インパクト」も合わせて書き留めておくことにしたい。
織田信長:岡田准一、木村拓哉、加瀬亮
まずは、依然として「日本で最も人気のある戦国武将」であり、映画やドラマ、漫画や小説、果てはゲームなど、あらゆる分野で今も描き続けられている「信長」である。
『どうする家康』では岡田准一が、『レジェンド&バタフライ』では木村拓哉が、そして『首』では加瀬亮が、それぞれ毛色の異なる「信長」を演じていた。岡田准一は、黒い衣装に身を包んだダークヒーロー然とした佇まいで、主人公・家康(松本潤)を幼少期から終始脅かし続けるような「信長」を好演(「待ってろよ、俺の白兎」)。それとは打って変わって『首』の加瀬亮は、終始絶叫しながら周囲の人間に対してキレまくる、狂気の「信長」を熱演していた。けれども、個人的に強く印象に残ったのは、木村拓哉による『レジェバタ』の「信長」だった。とりわけ、その最大の見せ場である「本能寺の変」は、信長の没年が木村自身の実年齢と近いこともあって、まさにこのタイミングでしか演じることのできない、そして観ることのできない、一世一代の芝居になっていたのではないだろうか。
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豊臣秀吉:ムロツヨシ、音尾琢真、ビートたけし
そんな「信長」のあとを受けて、やがて天下を統一することになる「秀吉」は、どうだったか。『どうする家康』ではムロツヨシが、『レジェバタ』では音尾琢真が、『首』ではビートたけしが、それぞれ「秀吉」を演じていた。ちなみに音尾は、『どうする家康』では家康の家臣である「鳥居元忠」を演じており、見せ場の多さも含めて、そちらの印象のほうが強かったことは否めない。一方、「北野武」ではなく「ビートたけし」が演じた『首』の「秀吉」は、秀吉としてどうか以前に、信長、荒木村重(遠藤憲一)、明智光秀(西島秀俊)ら、武士たちのドロドロの愛憎劇を、一歩引いた場所から冷めた目で眺めるような、本作ならではの役割を担っていた。なので「秀吉」という意味では、ある意味ハマり役だったとも言える、ムロツヨシに軍配を上げたい。物語の展開上、天下を取ったのちの「秀吉」の姿が描かれたのも、今年は『どうする家康』だけだったわけで。
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徳川家康:松本潤、斎藤工、小林薫
そして「家康」である。『どうする家康』では、先ほど書いたように松本潤が、『レジェバタ』では……「はて、誰だったか?」と一瞬思ったけれど、そうだ、「安土城の饗応」シーンでチラリと姿を現した「家康」は、ゴテゴテの特殊メイクを施された斎藤工だった! これはこれで見ものだったけれど、台詞を言うまで、正直誰だかわからなかったよ(笑)。ちなみに『首』では、小林薫が「狸おやじ」然とした雰囲気で、飄々と「家康」を演じていた。と、ここまで書いて気づいたけれど、いわゆる「歴史ドラマ」は、従来とは異なる「新しい人物像」を提示しがちではあるけれど、全員が全員「新しい」わけではなく、旧来のイメージを踏襲した人物が、その周囲に配置されているような気がする。小林薫の「家康」に対して、加瀬亮の「信長」的な。「保守」と「革新」のバランスである。まあ、すべてが新しかったら、観るほうも混乱するわけで。その意味で、『どうする家康』の「ナイーブで臆病な家康像」は、確かに新しかったような気がするけれど、「信長」「秀吉」に関しては、割と従来のイメージを踏襲していたところがあったのではないだろうか。