『ゴジラ-1.0』なぜ全米で大ヒット? 観客の反応から浮き彫りになるハリウッドの課題
日本では11月3日から、全米では12月1日から公開された『ゴジラ-1.0』。国内では賛否両論の声が上がっている印象だが、アメリカでは大絶賛の嵐である。週末3日間(12月1日~3日)のオープニング興収(先行上映含む)が約1100万ドルを記録し、ランキング3位に躍り出た。しかし、その後も観客が増え続け、12月4日と6日にはデイリー興収1位の座に輝いている。ついには1989年公開の『子猫物語』を抑え、全米興収において歴代邦画実写作品1位の座に着いた。この報せは、海外でこれまで高く評価された日本映画はたくさんあったのに、そんなに子猫の映画が強かったのかという衝撃と同時に、その子猫にゴジラが勝ったことを意味している。なぜ、こんなにも『ゴジラ-1.0』は海外で人気なのか。
『シン・ゴジラ』はどうだった?
『ゴジラ-1.0』はそもそも公開前から話題になっていた。特に特報、そして本予告が公開された時には、YouTube上で多くの人がリアクション動画を掲載していたのが印象的だ。そもそもリアクション動画の性質として、最初は少数派のコアファンが動画を投稿し、その動画の再生回数が跳ねると、それを見て話題性を感じ取った人がこぞって自身もリアクションを撮ってアップロードし始めるような、チェーンリアクションが起きやすい前提がある。つまり今回の場合は、予告の東宝の文字が出ただけでテンションが上がる“東宝ゴジラ”ファンが興奮気味に語る動画が公開され、それに準じて「東宝は知らないけどモンスター・ヴァースなら観ている」というファン、モンスターパニック映画が好きなファンという具合に、まるで波紋が広がるように動画が増えていった。そのリアクション動画はもちろん、それを観る者の鑑賞欲も煽るわけで、言うなれば本作は“口コミ”で広がっていたのである。
この『ゴジラ-1.0』の熱に触れれば触れるほど気になってくるのが、“では『シン・ゴジラ』の時はどうだったのか”という疑問である。2016年に公開された『シン・ゴジラ』も全米では公開されている。しかし、結論から言うと、『ゴジラ-1.0』ほど話題にはならなかったのだ。『シン・ゴジラ』の全米興収ランキングの最高順位は10位止まりで、オープニングの週末興収は34館で約45万ドル。2308館公開、約1100万ドルの『ゴジラ-1.0』とは館数も興収も桁違いなのである。逆に『ゴジラ-1.0』の公開館数がここまで増えた背景として考えられるのは、2019年公開の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』で「モンスター・ヴァース」が本格始動し、アメリカにおける“ゴジラ熱”が高まったこと、そして先に述べたリアクション動画というコンテンツが2016年にはまだここまで流行っていなかったことが挙げられる。しかし、そういった背景以上に、物語が“誰の視点”で語られるかという点も、『ゴジラ-1.0』の人気が勝った要因に感じられる。
“人間パート”への賞賛
第二次世界大戦直後の“ゼロ”になった東京をゴジラが“マイナス”にする、という本作への良いレビューを読み聞きすると、多くの人が「人間パート」について言及している。怪獣や欧米のモンスターパニック映画において、巨大生物が画面の主役になる場面と、人間のドラマが描かれるパート分けが生じるわけだが、前者を求めて映画館にやってきた観客によって、この“人間パート”が疎まれる場合が多い。特に「モンスター・ヴァース」ではそれが批判の対象になっていて、アメリカの観客はこの手の作品に登場するキャラクターに対して感情的に没入することがあまりなかった。
しかし『ゴジラ-1.0』のレビューには、一貫して“人間パート”の出来が良かったという声が挙がっているのだ。戦争から逃げた者がそのトラウマを抱えながら、さらなるゴジラという恐怖に向かい合わなければいけない。特に主人公の敷島役の神木隆之介の演技が評価され、彼の演じる役の感情が伝わること、それ故に実際にキャラクターを気にかけることができたという意見が多い。
映画評論家のクリス・スタックマン(Chris Stuckmann)は自身のチャンネルで「人間のキャラクターが素晴らしいレアな作品。主人公に限らずどの登場人物のことも大事に思えた。(略)機雷の撤去作業をする新生丸の乗組員たちが良いエナジーを映画全体にもたらしていて、彼らの関係性も良い。(略)ゴジラが光線を発する姿がたくさん観られなくても、本作は人間パートに満足できました。大事に思えて、ただ無事でいてほしいと心の底から思える。(こういった作品において)そんなふうにキャラクターに感情を抱いたのは初めてでした」と語っている。
人間パートに関しては終戦後をどう描くかという点で、史実をより詳しく知る国内のオーディエンスのほうが厳しい眼差しを持っている。それに対しアメリカの観客は描写の正確性ではなく、戦争を体験したものが受けた心の傷、死への恐怖など普遍的な感情の部分で高く共感し、登場人物に寄り添っているように感じられた。脚本やセリフに関しても、日本語やその歴史がわかる者にとっては説明的に思えたとしても、海外の観客にとっては情報の補完となってノイズにならない。評価基準を考えた時、日本の観客がマイナスに感じているものが、アメリカの観客にとってそこまで負の要素になっていないというのが、多くの感想を読み聞きして感じたことだった。
人間の味方ではないゴジラ
もちろん、ゴジラへの眼差しも忘れてはいけない。本作が予告編の時点で大きな話題になっていたことは先述したが、特にゴジラの造形、そして破壊力が話題の中心であった。本作のゴジラは、誰の味方でもない。むしろ核爆弾を投下された日本人に向かって核エネルギーを放射する恐怖の存在であり、初代を彷彿とさせる。ゴジラの顔がシリーズを通して違うのが見どころでもあるが、本作のゴジラは、怖くて目力が強い表情が印象的。とにかく恐ろしく、そこが良いという感想が多く見受けられた。そしてその破壊力。銀座の街が一瞬でチリになったり、足元で人が踏まれないよう必死に逃げたりするスケール感が全体的にウケている印象だ。特に光線を発射する際、背びれがガコンガコンと段階的に盛り上がる仕掛けには予告映像の時点で多くの人が驚き、喜び、テンションを上げていた。
昨今の東宝作品や「モンスター・ヴァース」で描かれてきたゴジラは、時に人間の味方であったりアンチヒーロー的な立ち位置だったりして、我々が応援したくなるような存在だった。しかし『ゴジラ-1.0』のゴジラは、スクリーン越しの我々にも絶望を与え、その咆哮に恐怖を覚えさせる。そして「モンスター・ヴァース」シリーズで徐々にキャラクター性が紐解かれてきたゴジラに慣れているアメリカの観客にとって、終始アンノウンの存在であり続けた本作のゴジラは新鮮だったようだ。