【追悼・山田太一さん】テレビドラマと脚本家たちに残したあまりにも大きな道標

 また、山田が執筆した脚本の多くが、シナリオブックとして定期的に書籍化されてきたことも、ドラマ脚本家の地位向上に大きく繋がった。

 これは山田だけでなく、倉本聰、向田邦子といった脚本家にも言えることだが、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ドラマ脚本家のシナリオブックや脚本家自身によるノベライズが書籍として多く販売され、一部ではシナリオ文学などとも呼ばれていた。

 当時は配信もなく、ビデオやDVDといったドラマのソフト化も進んでいなかったため、本放送が終わると再放送以外で過去作のドラマに触れることが難しかった。そのため、作品を追体験する手段としてシナリオブックの需要があったのだが、同時にそれは小説家と同じように、作家として彼らが認められていたことの証明でもあった。

 テレビ黎明期には電気紙芝居と揶揄され、小説や映画と比べて劣るものと見られていたテレビドラマの中にも文学性の高い作品があると世間に認めさせたのが山田太一たちであり、書店に並んだシナリオブックを読むことで、岡田惠和、野島伸司、木皿泉といった脚本家たちはテレビドラマの書き方を身につけていった。

 現在も、坂元裕二、宮藤官九郎、野木亜紀子、生方美久といったドラマ脚本家のシナリオブックが定期的に刊行されているが、日本のテレビドラマが脚本家を主語として語られる機会が多いのは、山田たちレジェンド世代の脚本家がいたからである。

 全ての作品ではないが、山田が脚本を手がけたテレビドラマの多くはソフト化されており、配信でも観ることができるし、シナリオブックで読むこともできる。

 山田の死はテレビドラマにとって大きな喪失で、とても悲しいことだ。だが、彼が残した作品はテレビドラマの古典として生き続け、後に続く脚本家の道標となっていくことは間違いないだろう。

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