隠れた名作『ノートルダムの鐘』の魅力を解説 ディズニーらしからぬキャラクターたち

隠れた名作『ノートルダムの鐘』の魅力とは?

 11月24日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)では、『ノートルダムの鐘』(1996年)が放送される。この『ノートルダムの鐘』、案外観たことがないという人も多いのではないだろうか。本作は興行収入が伸び悩んだこともあり、同時期のほかの作品、たとえば『ライオン・キング』(1994年)や『ポカホンタス』(1995年)、『ムーラン』(1998年)などに比べて、知名度が低い印象がある。しかし実はディズニーファンの間では、今回視聴者リクエストで選ばれるほど、「隠れた名作」として愛されているのだ。

 15世紀末のフランス。ノートルダム大聖堂の鐘つき堂に隠れて暮らすカジモドは、年に一度の「道化の祭り」の日にガーゴイルの石像たちに励まされ、鐘つき堂を抜け出す。そこで美しいジプシーの踊り子エスメラルダと出会い、愛と友情を知っていく。

 ほかのディズニー作品に比べて「暗い」と言われる『ノートルダムの鐘』の魅力は、一体どこにあるのだろうか。本稿ではその独自の魅力を紹介していこう。

「ディズニー・ルネサンス」のなかでも最高峰の映像と音楽

 1980年代の「暗黒時代」を抜けたディズニーは、1989年、数々のブロードウェイミュージカルに携わってきた作詞家のハワード・アッシュマンと、作曲家のアラン・メンケンを迎えて『リトル・マーメイド』を制作。同作は世界興行収入2億ドルを突破する大ヒットを記録し、アカデミー賞で劇中歌「アンダー・ザ・シー」が歌曲賞を受賞するなど、高い評価を獲得した。「ディズニー・ルネサンス」のはじまりだ。

 「ディズニー・ルネサンス」の作品の多くは、『リトル・マーメイド』をはじめ、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)など、主にミュージカル映画として制作された。これらにひきつづきメンケンが携わった『ノートルダムの鐘』は、ミュージカル路線の最終作であり、最高峰との呼び声も高い。ほかの作品に比べて荘厳なオーケストラや、幾重にも重なるコーラスが宗教音楽的な響きを持つ本作の劇中歌の数々は、キャッチーではないものの、美しく重厚な世界観を引き立たせる。

 一方、映像面でも豊かで趣向を凝らした画面づくりが目を引く。カジモドが初めて鐘つき堂から出て、「道化の祭り」に行く場面では、祭りの主催者であるクロパンが民衆の間から登場するシーンで、一気に画面の彩度が上がり、華やかな印象になる。こうした画面の明るさや色味の変化は、ほかの場面でも印象的に使われているので、映画全体を通して注目してみてほしい。

ディズニーのイメージを覆す陰鬱な展開

 『ノートルダムの鐘』の原作は、1831年に出版されたヴィクトル・ユゴーによる『ノートルダム・ド・パリ』だ。ゴシック小説として知られる原作は、非常に暗く陰鬱な内容で、救いのない結末となっている。そのため『ノートルダムの鐘』もまた、全体の雰囲気は暗い。主人公であるカジモドは、背中と左目の上に大きなコブがあり、その醜い容姿のために隠れて暮らしている。人前に出れば「怪物」と恐れられ、嘲笑される存在だ。ヒロインのエスメラルダもジプシーとして迫害の対象となっている。カジモドを育てた判事のフロローは、自身の信じる“正義”を振りかざし、彼らを徹底的に追い詰める。

 本作は「人を見た目で判断(差別)してはいけない」というテーマを掲げているが、もう1つ大きなテーマがある。それは「怪物とはなにか」というものだ。人と違った容姿をもつカジモドは、その外見の“醜さ”から「怪物」として差別され、人々から蔑まれる。一方で権力を持つフロローは、内面に“醜さ”を持った「怪物」であり、カジモドと対比されるキャラクターだ。もちろんここではフロローが“本物の”怪物ではあるが、本作にはもう1つの「怪物」が潜んでいる。これはぜひ作品を観て確かめてほしい。カジモドにつらい思いをさせるのは、フロローだけではない。現代に生きる我々にも無縁ではないその「怪物」の恐ろしさ、残酷さをこれほど強烈に描いたディズニー作品はほかにないだろう。

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