『16bitセンセーション』で想う“昔の”秋葉原 アニメで描かれてきた街の発展

『16bitセンセーション』で想う秋葉原

 キジ丼がトリ丼になってやがて消えた。ブラウン管で踊っていた森高千里がモーニング娘。になり、液晶パネルの中で歌うAKB48になってそれも今は見かけなくなった。秋葉原を歩き続けて来た人の記憶に刻まれたそんな風景を、映し取ったようなアニメが若い人に驚きを与え、年配者の記憶をえぐってさまざまな思いに浸らせる。

 1992年の秋葉原にはアキハバラデパートが駅を被うように建っていて、1階の伊呂波で「キジ丼」という丼ものを食べることができた。キジといってもニワトリのことで、焼いてタレ漬けした鶏肉を白いご飯の上に乗せた丼をかき込んでから、秋葉原の街に出ていくのが楽しみのひとつだった。2023年の現在から1992年の秋葉原へとタイムスリップできたら、もう一度食べてみたいメニューの筆頭だ。2023年から1992年に主人公・秋里コノハがタイムスリップしてしまうTVアニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』。彼女には、1992年の秋葉原を懐かしむだけの記憶はなく、ただ今とは違った渋い街に映った。

TVアニメ「16bitセンセーション ANOTHER LAYER」オープニング映像|中川翔子「65535」

 1992年の秋葉原は、パソコンを売る店はあったけれど、まだまだ家電やオーディオを売る店が並ぶ電気街で、電気部品や電子部品が何でもそろうショップもある街といったところ。アニメやゲームのキャラクターで埋め尽くされているようなこともなかった。だから地味に映ったのだろう。

 そんな表の景色とは違ったところで美少女ゲーム、というよりは18禁のアダルトゲームの市場が、ジワジワと芽吹き始めていた時代だったらしいことが、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』に描かれている。2023年にふとしたことで手に入れた『同級生』というゲームを開いたコノハが光に包まれ気がつくと、そこは『同級生』が発売された1992年12月の秋葉原だった。

 右も左も分からない中、転がり込んだゲーム会社でPC-98を使い16色のドットを打って色を塗るコノハの挑戦に、あの頃はそうやってグラフィックを表現していたんだと思い返して懐かしむ人もいるだろう。そうした制約の中で豊かな色使いを感じさせる塗りを見せるグラフィッカーのセンスに、凄い時代だったと驚く若い人もいそう。30年を経て縁遠く遠くなった技術をつなぎ、文化としての美少女ゲームをつなごうとする意識が、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』という作品から漂ってくる。

 2023年のゲーム会社でイラストレーターとは名ばかりの、モブキャラの色塗りばかりをさせられていたコノハには、少ない人数でひとりひとりが思いを抱き、技術を駆使してゲーム作りに勤しんでいる1992年のゲーム会社の姿が、とても魅力的に映ったようだ。大勢が携わり、分業も行き届いた今のゲーム作りがクリエイターにとってつまらないものということは決してないが、個人の裁量が大きく、それがゲームの人気という結果として感じられた時代を見せることで、モノ作りの意味を考え直すきっかけを与えてくれる。『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』はそんな作品になっている。

 いったん2023年に戻った後、今度はLeafの『痕』が発売された1996年に飛んだコノハが目の当たりにした秋葉原の様子は、18禁の美少女ゲームを売る店がだんだんと目立ち始めた頃のものだ。1994年11月にセガサターンが登場し、12月にプレイステーションが発売となって家庭用ゲーム機が一気に広がった時期でもあって、電気の街から少しずつ秋葉原の雰囲気が変わり始めていた。

 1999年に深夜バラエティ番組『ワンダフル』(TBS系)の中で放送された『Di Gi Charat』というTVアニメには、おたくの街へと変貌を遂げつつあった秋葉原の雰囲気が、大げさではあるもののしっかりと残されている。何しろ舞台が、秋葉原に進出をしたゲーマーズというショップ。マンガやアニメが大好きな店員がいて客が集まる店で起こる騒動を描いて、オタクの消費行動を見せてくれた。

【♯1】令和のデ・ジ・キャラット「おひさしぶりぶりアキハバラ~」

 秋葉原駅前に建ったゲーマーズ本店の上には、『Di Gi Charat』の主人公のデ・ジ・キャラットが描かれ、長く秋葉原の街を睥睨していた。この頃を境にして、秋葉原の街をアニメやゲームのキャラクターが看板となって街を埋め尽くすようになっていく。その光景を、異様なものだと思う人は、今はそれほどいないだろう。

 それどころか山手線を美少女キャラクターに包まれた列車が走り、地方でもアニメやゲームとのコラボレーションが盛んになっている。日本の光景が変わる発端を、『Di Gi Charat』というアニメから感じ取れる。

 この頃になると、秋葉原もゲームの街といった色が濃くなり、ドリームキャスト(Dreamcast)やPlayStation(プレイステーション)2のゲームソフトを扱う店や、『To Heart』のLeaf、『Kanon』のkeyといったPC向けのゲームソフトを扱う店がぎっしりと並んで、新発売のソフトのデモ映像やポスターで中央通りを飾っていたという記憶がある。2000年3月4日にPlayStation2が発売された時は、始発で秋葉原へと乗り込んでゲーム機を手に入れようとする人たちで、まだ薄暗いうちから溢れかえった。

『Kanon』 オープニングムービー

 PlayStationの生みの親とされる久夛良木健もそんな秋葉原に姿を現し、中央通りにあるドーナツ屋で休憩し、路面店で電気部品を買いつつ新ハードの手応えを感じていた。今に続くソニーの躍進を決定づけるような光景が、秋葉原で繰り広げられたとも言える。

 同時に、秋葉原のポップカルチャーの街としての地位も、このあたりで強固なものとなって2000年代に君臨し続ける。2008年6月8日に悲しむべき事件が起こって、歩行者天国が中止になっても賑わい事態は大きくは後退しなかった。むしろアイドルの街として、秋葉原に日本中の注目が集まることになる。

 2005年に秋葉原で活動を始めたAKB48は、2008年6月に事件が起こった時も劇場で公演していて驚いたといったコメントが、スポーツ新聞にベタ記事で載る程度の人気だった。それが、この年にキングレコードに移籍した効果があったからなのか、だんだんと人気を高めてチャートで1位を獲得する曲が続出し始める。秋葉原の街もそんなAKB48のグッズを扱う店が一気に増えて、2次元のキャラと混在するようになった。

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