『らんまん』浜辺美波の痛快な姿が作品の骨格に 寿恵子に取り入られている令和の価値観
田邊(要潤)が海で亡くなるところからはじまった『らんまん』(NHK総合)21週「ノジギク」。衝撃と悲しみが大きかったが、残された身重の妻・聡子(中田青渚)が田邊は「生きようとされていたんですよ」と語り、彼女もまた、めそめそせず毅然と生きていこうとする姿を見せた。それによって、田邊編はさわやかに完結したように思う。
とはいえ田邊ロスは大きい。孤高の美学を貫いた田邊はとても魅力的なキャラクターで、万太郎(神木隆之介)にきつく当たりはしたものの、結果的に悪い印象を残さなかった。だが、聡子の旅立ちを見ると、田邊の妻で幸福だった反面、夫に抑圧されていた面もあったようにも感じる。
海に行きたいという頼みを言い出すことにものすごく気を使っていた聡子。浅草に雷おこしを食べに行きたいという願いもささやかなもので、そんなことすらこれまでできなかったとは。寿恵子(浜辺美波)しか友達もなく、ひとりでずっと家にいたとは、いかに当時の女性が妻となったとき自由を失っていたのかを思う。はっきり描いてはいないが、聡子もまた、綾(佐久間由衣)のようにこの時代に女性であることに苦しんだ人物であり、その人が解放される物語を描いているようにも感じるのだ。
朝ドラはどうしても夫のために尽くすことが麗しいという文脈になりがち。ヒロインである寿恵子はまさにそこにどんぴしゃ当てはまる。できるだけ、寿恵子に才覚と、夫の可能性に賭けているという先見の明があることにして、尽くす人に見えないように配慮されているように感じるものの、歴然と家計を背負っているのは彼女で、万太郎は生活費を稼ぐことはせず、自分の研究のためのお金を寿恵子に工面してもらっている。
寿恵子は、確かに才覚はある。質屋(小倉久寛)とうまくやり、借金取り(六平直政)には投資までさせ、ついには叔母みえ(宮澤エマ)の料亭で仲居として働き、岩崎弥之助(皆川猿時)以下、お歴々に一目置かれる(万太郎の採集してきたノジギクのおかげでもあるがそれを採ってこさせたのは寿恵子)。男性に依存せず、己の才覚で苦境を突破していく姿は痛快ではある。
モデルの史実(牧野富太郎が植物学者として大成する)を見れば、実際、先見の明もある。だが、令和の感覚で見ると、婚姻関係にありながら寿恵子に一方的に経済的依存をしている万太郎の生き方はいささか容認し難いのである。あくまで明治時代の価値観として作るべき観るべきという考え方もあれば、現代の幅広い人に観てもらうためには現代の価値観も取り入れないとならないという岐路に立たされているのが、昨今の歴史上の人物を取り上げたドラマである。その点、『らんまん』は令和の価値観も取り入れながら、明治時代の暮らしや文化も再現することに成功しているほうだといえるだろう。植物に優劣がないと考える万太郎の生き方と、江戸から明治にかけて身分制度が大きく変化して民衆が力をつけてきたことが一致しているので、テーマ的に違和感を覚えづらい。そこは誰にも否定できないところであろう。