『秀吉のスマホ』も現代との親和性が高過ぎる! 『◯◯のスマホ』シリーズを貫く無常観

『◯◯のスマホ』シリーズを貫く無常観

 NHKの人気シリーズ『◯◯のスマホ』の第5弾『秀吉のスマホ』では、『光秀のスマホ』からスパイスをきかせ続けてきた秀吉(和田正人)がついに主役(天下人)に。「もしも歴史上の偉人がスマホを持っていたら?」という設定のSF時代劇『◯◯のスマホ』シリーズがさらに細分化され、『秀吉のスマホ』は『天下人のスマホ』シリーズとなっている。SNSのアイコンは『光秀のスマホ』からそのままに、庶民から成り上がった豊臣秀吉の栄枯盛衰の物語(5分✕8話)は、死んだ信長の後継者を考える清州リモート会議からはじまり、天正地震を地震アラートが知らせるなど、現代との親和性が高過ぎる。

 地震に関してはいささか笑いづらいところがあるとはいえ、会議がリモートであるところはツボをついている。さらに、会議での立ち回り方を焚き付ける妻・おね役が大塚寧々というのも面白い。おねは「ねね」と呼ばれることが一般的なので、このベタ過ぎるキャスティングの実現もすばらしい。

秀吉のスマホ

 大塚寧々が演じるねおねの恐妻っぷりと、濱田マリが演じる、母・なかの田舎のかあちゃんっぷりの対比が楽しい。やがて家康に人質として嫁ぐ妹・あさひが「顔も変だし身分も低いのによくがんばってるわ」と秀吉を褒める。そう。秀吉は、信長や光秀たちとは違って農民出身で、だからこそ、庶民の気持ちのわかる者として、三英傑のなかでも高い人気を得てきたのだ。

 だが、『◯◯のスマホ』シリーズは、秀吉のみならず、明智光秀も土方歳三も源義経も織田信長も、みんなそろってものすごく庶民的だ。彼らがスマホに向かってつぶやく言葉は本音である。対外的には澄ましたりかっこつけたりしていても、スマホの前では見栄っ張りでいじましく弱くてチャラい。そのうえ、これまで彼らを描いた多くのヒーロー譚とは違い、とても現代的だ。

 当時の人がどうだったかほんとうのことを我々は知らない。何が現代的で、何が当時の人らしさなのかわからない。ただ言えるのは、スマホという文明の利器を使用することで形成されるであろう言語感覚、生活様式、ものの考え方に置き換えられたキャラクターは親しみやすいということだ。とりわけ、秀吉。SF時代劇とはいえ、チャラい光秀、信長に若干覚えた違和感も(すぐにそれは快感になるのだが)、秀吉だと最初からこのチャラさにリアリティーがあるようにも感じる。秀吉がSNSでお金配りをしているエピソードには、彼は現代で言うところの新富裕層なのだと大いに納得した。

秀吉のスマホ

 信長などは代々受け継いできた地盤(家)を引き継いでいて、その誇りもあれば、そこに縛られているプレッシャーなどもあるだろう。だが、秀吉にはそれがない。今と未来しかなく、そこが強みであり、自身の実力のみで生き抜いていく姿を支持したい層は確実にいる。それを現代人に例えれば、過去に良いものとされてきた教養や品格などに価値を見出さず、なによりもお金を増やすことを大事にしたり、SNSで根拠のない話を声高にして広げたりするような感じであろうか。新富裕層・秀吉が、世襲のぼんぼんみたいな人たちを己の才覚でぐんぐん抜いていき、頂点にのぼり詰めた果てを、スマホシリーズではどう描くか。

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