古沢良太脚本の持ち味が全開 『映画ドラえもん』で“騙し騙される”を描いた意義
現在公開中の『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』は、『リーガル・ハイ』(フジテレビ系)やNHK大河ドラマ『どうする家康』などを手がけたヒットメーカー、古沢良太によるオリジナル脚本作品。明確に原作エピソードを持たないドラえもん映画は、監督や脚本家の作家性が強く打ち出されることがある。本作もそのような一作だ。
『空の理想郷』は、ファンタジックなタイトルに相反して、シビアで恐ろしい内容を内包している。その一方でとても胸が熱くなるストーリーも紡がれている。どちらも古沢良太がこれまで描いてきたことと、とてもよく似ていると感じた。ここであらためて振り返ってみたい。
※以下、ストーリー展開に触れる部分があります。
のび太が憧れるユートピアとは、「争いも競争もなく、飢えることもない。誰もが幸せに暮らせる国」のこと。ドラえもんや仲間たちとともにたどりついた空中都市「パラダピア」は、まさにユートピアだった。万能の科学によって作り上げられた街は美しく、穏やかな人々は平和に暮らしていた。パラダピアを司っているのは「三賢人」と呼ばれる3人の天才だった。三賢人は「パーフェクト小学生」になりたいと願うのび太を歓迎する。
観客の子どもたちものび太たちと同じく、カラフルで楽しそうなパラダピアでの生活に目を奪われたことだろう。しかし、ユートピアには恐るべき秘密があった。人工太陽の役割を果たす「パラダピアンライト」は人の心を操る作用があり、パラダピアの住民たちは一種のマインドコントロール下にあった。住民たちはさまざまな時空から騙されて連れてこられた人たちだったのだ。ジャイアンとスネ夫も、すっかり個性のない穏やかな優等生にされてしまった。ユートピアの欺瞞に気づいたのび太とドラえもんは、パラダピアからの脱出を図る。
古沢良太は作品の中でこのような欺瞞を何度も扱ってきた。『リーガル・ハイ』では毒舌弁護士の古美門研介(堺雅人)が世の中の欺瞞を次々と暴いていく。代表的な例が、美しい名前を与えられたのに実際は公害が垂れ流される「南モンブラン市」のエピソードだろう。「目に見えるものが真実とは限らない」の前口上で始まる『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)も、悪党たちの表向きの顔(経済ヤクザの赤星栄介(江口洋介)は慈善事業に勤しむ名士だった)が剥がされて本当の姿が暴かれる様を繰り返し見せていた。少々色合いが異なるが、『どうする家康』でも一向宗による一種の「理想郷」のエピソードに話数を割いていたのも印象的だった。
人は騙し、騙される。「理想郷」や「パーフェクト」などという物言いや、「天才」と呼ばれて何食わぬ顔をしている為政者は疑ってみるものだと観客の子どもたちに教えてくれるだけでも、『空の理想郷』は価値のある作品だと思う。パーフェクト小学生になんて、ならなくたっていいのだ。