この無情さこそ『THE LAST OF US』 冴え渡るクレイグ・メイジンの脚色
この無情さこそ『THE LAST OF US』だ。第5話の放送前倒しはスーパーボウル優勝決定戦の裏番組になるのを避けてのことだが、今となっては視聴者が衝撃から立ち直るために少しでも多くの時間(+2日)が必要だったとしか思えない。もちろん、第5話の結末は原作の通り。ここで多くのプレーヤーがコントローラーを置いて天を仰いだように、多くの人が悲鳴を上げ、言葉を失ったことだろう。そして原作通りであれば、続く第6話までの間に劇中では数週間から数カ月が経過し、季節は夏から秋、冬へと移ろっていく。実写化の条件として映画ではなくTVシリーズのフォーマットを選び、プロットよりもプロセスを重視したというクレイグ・メイジンは、視聴者にもやや長めのブランクを与えることで、原作では2度と言及されることのないヘンリー(ラマー・ジョンソン)とサム(キーヴォン・ウッダード)の身に起きたことを、いかにジョエル(ペドロ・パスカル)とエリー(ベラ・ラムジー)が受け容れたのか実感させたかったのかもしれない。
第5話は少し時間が遡って、ジョエルたちがカンザスシティへやってくる10日前から始まる。20年に及ぶFEDRAの軍事独裁に人々が反旗を翻して革命に成功した最中、ヘンリーと弟のサムがレジスタンスに追われ、民家の屋根裏に身を隠す。重病を患った弟を助けるため、ヘンリーはレジスタンスのリーダー、マイケルをFEDRAに密告し、死に至らしめたのだ。誰もが人格者と認める英雄マイケルの死後、妹のキャスリーン(メラニー・リンスキー)が組織の実権を握り、虐殺も辞さない強権によって革命は早くも地に落ちている。黒人であるヘンリーが白人たちに追われ、狭い屋根裏で息を殺しながら生活するさまはバリー・ジェンキンスの『地下鉄道 ~自由への旅路~』でも描かれた黒人奴隷とその逃亡の歴史であり、ぬめり光るようなメラニー・リンスキー演じるキャスリーンはヘンリーへの憎悪を募らせ、亡き兄の説いた赦しの心を捨て去っている。神なき荒野にモラルはなく、人はただ耐えて生き抜くしかないのか? 最愛の弟のために命を投げ出すヘンリーはジョエルの鏡像だ。第5話終盤、キャスリーンから投げかけられる台詞を私たちはシーズン終盤にもう1度思い出すことになるだろう。
「サムは死ぬ運命だったんでしょ? 子供は死んでるわ。しょっちゅうね。世界は彼を中心に回ってるの? 彼の価値は全てに勝る?」
ずぶずぶと地面に埋まっていくトラックを皮切りにした素晴らしいアクションシークエンスを経て、ジョエルとエリーの関係の変化を描くクレイグ・メイジンの脚色は冴え渡っている。サムはろう者へと変更され、手話や筆談などあらゆる手段を用いてエリーと関係を築いていくさまは、俳優のフィジカルと心理をもってしか表現しえない密接さだ。原作では人知れず感染し、自分を失ってしまった彼がここでは体の内で起きている恐怖を告白する。エリーは自らの掌を切ると、その血でサムの傷口をさする。抗体があるのなら、この血で彼を救うことができるかもしれない。しかし、無情な世界で結末が書き換えられることはない。あまりにも突発的な(ラマー・ジョンソンの瞬発力が素晴らしい)幕切れに、原作ファンもただ慄き、頭をたれるばかりである。