夢を見ているような気分になる? 異色のドラマシリーズ『サンドマン』が描く“想像”への愛
Netflixで配信が開始されている、“夢”を題材にした『サンドマン』は、まさに夢を見ているような奇妙な気分にさせてくれる、異色のドラマシリーズだ。
ニール・ゲイマンの書いた原作は、DCコミックスから1989年から7年の間、継続して出版され、表現される魅惑的なゴシックファンタジーの世界が多くの読者に衝撃を与えることとなった。コミック作品でありながら深い文学性が評価され、エピソードの一つが「世界幻想文学大賞」を受賞するなど、90年代にコミックの世間的な地位を向上することにも貢献した。
映画化が何度か予定されていたというが、企画は難航し、その複雑な内容を表現するには“連続もの”の方がふさわしいという判断で、紆余曲折を経て配信ドラマというかたちで今回『サンドマン』が届けられることになったのだ。ここでは、そんな多くの人々に愛されている題材を扱った本ドラマシリーズの内容を振り返りながら、そこで何が描かれていたのかを考えてみたい。
本作の主人公は、永遠の寿命を持ちながら、それぞれ超自然的な力で人間の一生を操る7人のきょうだい「エンドレス」の一体。その7人とは、「デス(死)」、「デスティニー(運命)」、「デザイア(欲望)」、「ディサピアー(失望)」、「デストラクション(破壊)」、「デリリウム(錯乱)」、そして「ドリーム(夢)」である。主人公“モルフェウス”(トム・スターリッジ)は、夢を操る「ドリーム」と呼ばれる存在であり、ヨーロッパの伝承で眠りをもたらす砂の妖精「サンドマン」ともいわれる。
モルフェウスは、太古の昔より全世界の人々に夢を見せる力を持ち、夢の王国「ドリーミング」のなかで絶対者として、全能の力を振るっていた。だが1916年のイギリスで、彼は人間に魔術の儀式で捕らえられ、100年もの間幽閉されることとなる。隙を見て抜け出すことに成功し、ようやく王国に帰ってみると、そこは見る影もないほどに荒れ果ていた。モルフェウス自身も夢を操る道具を奪われたため、かつての力を失ってしまっている。本シリーズは、再度絶対者になるため、その道具を取り返そうとする彼の冒険を描いていくのだ。
このモルフェウスが辿る境遇の意味を深読みしていくのも面白い。現実の歴史では、人々は“夢”を神託や予言ととらえたり、神々と出会う手段だと考えていた。しかし、精神科医のジークムント・フロイトが1900年に『夢判断』を出版したことが象徴するように、科学の発展とともに、“夢”の認識は変化していった。心理の反映だったり、起きていたときの記憶を整理するための生理現象として理解しようとするようになってきたのだ。
このように“夢のメカニズム”を調べようとすることで、そこにあった神秘性が剥がれ、人々が夢を特別視しなくなっていったことが、モルフェウスや夢の王国がかつての能力や権勢を失ったことに重ねられるのではないか。人が存在しなければ、信仰もまた存在し得ない。“神の力”とは、人々が信じる気持ちの総量にあるとも考えられるのである。