夢を見ているような気分になる? 異色のドラマシリーズ『サンドマン』が描く“想像”への愛
また、「ドリーム(夢)」というのは、将来の“希望”を指す言葉でもある。モルフェウスが捕らえられてから数十年間は、ちょうど第一次世界大戦の勃発に重なる時期でもある。これ以降、人間を大量に殺害する兵器が次々に生み出され、戦争というものが庶民が数多く命を落とすかたちへと変化していった。また、本作で魔術を使う男が、不幸な人々を尻目に財産を築き繁栄していったように、世の中が経済的に不平等な状態が続いていたのも事実で、富や安全は現在に至るまで一部の人間に独占されている状況にあるといえよう。
多くの貧しい人々は、それら厳しい現実にさらされることで、ただ生きることに専念せざるを得ないのである。だからこそモルフェウスが、“夢の力”を取り戻し、全ての人々に夢を見せることに意味が出てくるのではないか。面白いのは、そんなモルフェウスの冒険が、あくまで優雅に、そして哲学性や寓意を含みながら進んでいくという点である。
地獄の支配者ルシファー(グェンドリン・クリスティー)との一騎討ちというエキサイティングな展開も、“相手が言ったものを超越するものを考えて言い合う”という、ある種の“とんち勝負”というかたちで展開する。これは、禅問答のようでもあり、それを題材にした落語のようでもあり、また水木しげるの代表作といえる漫画『悪魔くん千年王国』をも想起させる、奇妙で魅惑的な戦いだ。
他にも、“人間は欺瞞に満ちた存在なのか”という疑問をテーマに、ダイナーを舞台にした小劇場の演劇のような人間ドラマが展開するエピソードや、“死を受け入れない人間の男”とモルフェウスが、100年ごとに同じ酒場で語り合うという、妙にロマンティックなエピソードが楽しめる。娯楽大作にはあまりそぐわない、比較的小規模といえる物語だが、それだけに趣深く、人生について様々なことを考えさせる。その意味で、『サンドマン』をドラマシリーズとして発表したのは正解だといえるだろう。
人は、眠っている以外の時間にもいろいろなことを夢想する「白昼夢」を見ることができる。その世界に限っては、貧富の差に悩まされることなく。死や自分の肉体をも超越し、どんな欲望も叶えられるし、荒唐無稽な展開も実現させることができる。そう考えると、その瞬間は誰しも、本作のような全能の存在「サンドマン」になっているといえる。
原作者ニール・ゲイマンもまた、この絶対者としての密かで自由な夢想の時間を愛していたのではないだろうか。『サンドマン』という作品は、つまりそのような個人的な“想像”に遊ぶ時間への愛を表現した、一種のラブレターであると考えられる。だからこそわれわれは、一見感情移入が難しそうな「サンドマン」の生き方に共感できるし、その悩みに思いを馳せることができるのである。
そして、この世にある創作物は、そのような想像力や個人的願望の世界を切り取ったものだともいえる。本シリーズ『サンドマン』は、そんな創作の核を描いた作品であり、クリエイターの創造性の秘密の一端を解き明かす作品だともいえるのだ。
■配信情報
Netflixシリーズ『サンドマン』
Netflixにて配信中