日本におけるゴダール受容の歴史と“映画の時代”の終焉 宇野維正×森直人×佐々木敦が語る

ゴダールとイーストウッドが体現する「映画の時代」の終焉

『ウイークエンド』Week-end, un film de Jean-Luc Godard. ©1967 Gaumont (France) / Ascot Cineraid (Italie).

――そういう90年代的なゴダール受容に、ゴダール本人は、ほとんど直接関与してないっていうのも、ちょっと面白いですよね。

佐々木:そうそう。一度も来日したことはなかったと思うし、ゴダール本人はその頃もずっと現役で映画を作っていたにもかかわらず、日本の90年代におけるゴダール受容は、むしろゴダール本人ではない人たちによって作られていったという。それで思い出したというか、それはちょっと前に僕が責任編集した『フィルムメーカーズ21 ジャン=リュック・ゴダール』という本の中にも書いたことなんだけど、「ゴダールを語るミュージシャン」みたいな観点でいうと、日本のポピュラー音楽史の中で、ゴダールについてやたら語ったビッグな3人がいて。一人目は坂本龍一さん、次が小西康陽さん、そして3人目が菊地成孔さんっていう。この3人は、もちろん繋がっているところもあるんだけど、違うところもあるじゃないですか。で、ある意味ではその3人が、それぞれ80年代、90年代、00年代以降の、日本におけるゴダール受容みたいなものをリードしていったっていう。

森:確かに、そうですね。菊地さんはゴダール受容の最終兵器のような印象も(笑)。

佐々木:だから、それはもう、ゴダール本人とは全然関係ない話なのかもしれないけど、日本におけるゴダール受容っていうのは、少なくとも僕がリアルタイムで知っている80年代以降は、そういう変化というか流れがあったっていう。まあ、それはゴダールだけの問題ではなく、ゴダールをひとつのテスターとして、日本のポップカルチャーの変遷そのものを考えることができるっていう話なのかもしれないけど。

――なるほど。その観点は、かなり面白いです。

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宇野:たださ、やっぱり俺は、前回も話したけど、その時代をピークとして、ゴダールの「株価」が落ち続けていることが、ちょっと気になっていて……。

森:そこ、こだわりますよね(笑)。

宇野:うん(笑)。もちろん、#MeToo以降の流れの中で、それこそ前回話したような監督と女優の関係の在り方――ゴダールとアンナ・カリーナの関係性みたいなものが、あまり称揚されなくなってきているっていうのは、ひとつあるとは思うんだけど……というか、これは日本だけじゃなくて、まあ日本は特に顕著だけど、「わかりにくいものを愛でる」という文化的な余裕がなくなってきている気がするんだよね。

森:それは、おっしゃる通りですね。

宇野:だから、そのゴダールが愛でられた時代っていうのは、まだ余裕があった時代であって……。

森:でも、それはホント、さっき佐々木さんがおっしゃった「センス・エリート」たちの時代が最後だったというか、「知=ファッション」みたいな図式が、もう完全に吹き飛んでしまって、むしろ反知性主義的な流れが、反動のようにグーっと上がってきたっていう。

佐々木:そうだね。さっき坂本さんの名前を挙げたけど、まあ言ってみれば、浅田彰的な世界ってことですよね。浅田さん的なゴダール受容みたいなものが、やっぱり90年代後半ぐらいから、完全にヘタってしまったっていう。

森:ちなみに「浅田彰的な世界」の時代のゴダールと言えば、「浅田彰、坂本龍一、村上龍」のお三方が並んでいる図が、個人的にはイメージ強いんですけど(笑)。

佐々木:まあ、村上龍はね、ゴダールと対談している数少ない日本人のひとりだから(笑)。

森:僕、「渋谷系」以前であれば、村上龍さんのミーハーなノリのあるゴダール受容が大好きなんですよ(笑)。でも、そういうニューアカデミズム的なゴダール受容の系譜は、ゼロ年代に入ってから、ちょっとびっくりするくらい途切れちゃいましたよね。象徴的に言うなら、東浩紀さん以降の思想系の論客の方々は、みなさんオタク・カルチャーのほうが共通の磁場になっている。

佐々木:まあ、ゼロ年代って、完全にそうだったからね。もちろん、観ている人は観ているんだろうけど、趣味とか嗜好のベースが、もうそっちにはないから。

森:渋谷からアキバへ……ではないですけど、オタク文化はインターネットとも親和性が高いので、日本では当然のように圧倒的な優位に立った。そこで美学的なコンテクストまで一変しちゃいましたよね。

宇野:それを言ったら、ミュージシャンだってそうよ。ゴダールのリファレンスみたいなものって、もう完全に途絶えてるから。いわゆる表層というか、気分的なものとしても、まったくなくなってしまった。

佐々木:ゴダール本人は、まだ一応現役だから、決して忘れ去られはしないんだけど、何か微妙な感じになってしまったところはあるよね。まあ、言ってもゴダールは今年92歳になるわけで、いてくれるだけで、俺はもう十分なんだけど。

森:そう、よく言われることですけど、フレデリック・ワイズマン、そしてクリント・イーストウッドと同い年なんですよね。3人とも現役という「花の1930年生まれ組」(笑)。特にイーストウッドとゴダールは、もはや「映画」という文化そのもののシンボルとして屹立していますよね。

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宇野:けどさ、ゴダールもイーストウッドも、間違いなくもうすぐいなくなるわけじゃないですか。

佐々木:まあ、100歳を超えても映画を撮っていた、マノエル・ド・オリヴェイラ監督みたいな例がないわけではないけど……この2人がいなくなるっていうのは、映画史的には結構大きいことだよね。

宇野:ですよね。けど、ホントにもう――僕が今書いている本も、実はそういうテーマなんです。要は、シリーズものやフランチャイズものを除けば、劇場で公開される2時間前後の映画っていうアートフォーム自体が、もう商業的には、ほぼ持続不可能じゃないですか。

佐々木:そうですね。

宇野:まあ、国の文化政策とかの保護下で、フランスとかでは細々と作られていくのかもしれないけど……。

佐々木:あるいは、Netflixとかの企画に乗って単発でやらせてもらうとか、そのどっちかですよね。

宇野:そう。だから、もちろん、2時間の「映画」っていうフォーマット自体はなくならないんだけど、劇場だけでそれが商業的に回るような時代は、ほぼ終わりに近づいているっていう。

佐々木:や、もう絶対不可能だよね。っていうか、もうすでに不可能ですよね、多分。

宇野:すでに限られた作家しか、それができないっていう状況になっている中で、ゴダールとイーストウッドがいなくなるっていうのは、いろいろ後付けでそこに意味が生じてくるんだろうなって思っていて。20世紀という「映画の世紀」のロスタイムが、この20年間余りだったっていう。

佐々木:そうですね。いわゆる「シネマ」と呼ばれた「映画の時代」が、そこで完全に終わるっていう。そう捉えられる可能性は、すごくあると思う。

森:でもホント、宇野さんおっしゃられたような、映画が「終わり」に入っているっていう感覚は、めちゃめちゃありますよね。名だたる巨匠たちが、みんな総まとめに入っている感じがあるというか……。

宇野:そうなんですよ。だから、そういう意味づけが、どんどんされちゃうんだろうし、「そのとき」は、もう間もなくやってくるんだろうなっていうのは、ちょっと思うよね。

――ちょっとしんみりした感じになってしまいましたが、最後に「PART 2」の作品の中で、それぞれのオススメを聞いて終わりにしましょうか。

宇野:うん、そうだね。

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――じゃあ、まずは宇野さんから。

宇野:この中だったら、圧倒的に『ウイークエンド』だね。大学生の頃、パリで7万円ぐらい出して、オリジナル版のポスターを買ったことがあるぐらい好き。

森:ポスターに7万円出したの!? もう、熱烈ファンじゃないですか(笑)。

宇野:バカだから額にも入れずそのまま部屋に貼ってて、タバコのヤニだらけになっちゃったけど。

『ウイークエンド』Week-end, un film de Jean-Luc Godard. ©1967 Gaumont (France) / Ascot Cineraid (Italie).

佐々木:『ウイークエンド』はいいよね。それこそ今の時代、誰かがリメイクとかしてもいいものになっているというか、めちゃくちゃお金を掛けて『ウイークエンド』をリメイクしたら、すごく面白そうな気がする。

――ちょっとホラー映画っぽいところもありますし。

宇野:ホラーもそうだし、まるでカタストロフィが起きた後みたいな、街から逃げ出そうとする車の渋滞の画とか、ああいうのがたまらないんだよね。最近の作家で言うと、ちょっとジョーダン・ピールみがあるというか。

森:でも確かに、この5作品の中で、一本の映画として、率直に観て面白いのはどれかってなったら『ウイークエンド』が圧倒的に挙がってきそうですよね。実のところ、さっき話した90年代の文脈の中では、あんまり引っ掛からなかった映画だったような気がするけど。

――確か『ウイークエンド』は、当時全然観ることができなくて、2002年にようやくリバイバル上映されたんですよね。

森:あ、確かにそうでした。作品のイメージ的にも、いわゆる60年代ゴダールのおしゃれ感とはまた違うんですよね。風刺コメディとしてすごく出来がいいっていう。

佐々木:めちゃめちゃブラックだよね。

森:極上のブラックコメディですよね。

――森さんは?

森:この5本だったら、僕は『右側に気をつけろ』になりますね。後期ゴダールでいちばん好きなので。『ワン・プラス・ワン』(1968年)はローリング・ストーンズだけど、こっちはレ・リタ・ミツコのレコーディング風景を導入したもので、ソニマージュ作家としてのゴダールのひとつの究極が味わえると思います。配信でご覧になるのなら、ヘッドホンやイヤホンは必須かと。あと主演はゴダール本人ですから。

『右側に気をつけろ』Soigne ta droite, un film de Jean-Luc Godard. ©1987 Gaumont (France) / Vega Film Ag / TSR (Suisse).

宇野:ゴダールって、割と気軽に本人が出るんだよね。狂言回し的な感じで。

佐々木:めちゃくちゃ出るよね。『カルメンという名の女』(1983年)にも、結構重要な役で出演していて……しかも、なかなかいい演技をするんですよね(笑)。

宇野:そうそう(笑)。だから、ウディ・アレンとかイーストウッドとは別の意味で、ちゃんと映画の中に自分の身体性を刻み付けている人ではあるんですよね。

佐々木:そうですね。それは確かにそうだわ。

――佐々木さんは、いかがでしょう?

佐々木:そうだな……いわゆる「入門編」としては全然適した映画ではないと思うけど、『勝手に逃げろ/人生』は、かなり重要な映画だったと僕は思っていて。僕自身、初めて観たのは制作からだいぶ経ってからだったけど、最初のほうの、イザベル・ユペールが自転車に乗って走ってくるところがコマ伸ばしになるシーンを見たときに、「わっ、これはすごいな」って思って。すごいっていうのは、映画という技術が持っているすごさであって……まあ、今の目から見たら、技術的には別にすごくないんだけど、それを当時やったことのすごさって言うのかな。このあとの『パッション』とか『カルメンという名の女』になってくると、ある種整理されて、方法論的にもはっきりしてくるから、その分スタイリッシュなものとして観ることができるけど、この時点では、まだそれがプリミティブな段階にあって。『勝手に逃げろ/人生』は、改めて見るべきところが、いっぱいある映画だと思います。

『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (la vie), un film de Jean-Luc Godard. © 1979 Gaumont (France) / T.S.R. / Saga Productions (Suisse).

――一度、商業映画と決別したゴダールは、この映画で一応商業映画の世界に復帰することになったわけで……。

佐々木:そうそう。まあ、商業映画に復帰したと言っても、そのあとゴダールは、完全にコラージュ主体の映画を撮るようになって、音楽的なところも、ECMレーベルの音源ばっかりを使うようになるんだけど(笑)。そう、『勝手に逃げろ/人生』は、ゴダールが特定の映画作曲家と組んだ、最後の映画になるんですよね。この映画の音楽はガブリエル・ヤレドがやっているんだけど、そういう意味では、この映画の前とそれ以降みたいな感じがあるんですよね。

――というか、イザベル・ユペールが出ているのも、よく考えたらすごい話ですよね。

佐々木:というか、すごい女優だよね。この頃は、まだ出始めの頃だったと思うけど、それからずっと最前線でやっていて……そう、『パッション』も、ユペールが一応主演でしたよね。

森:思えば、ゴダール的なるものをいちばん現在まで語り継いでいるのは、ユペールかもしれないですよね。いまも、それこそ身体に刻まれた「ゴダール基準」で活動し、その良質のスピリットを後続に伝えている映画人の筆頭じゃないでしょうか。ホン・サンスと組んだ『3人のアンヌ』(2012年)のときも、インタビューで「ゴダールの現場を思い出した」とか言っていた気がするし。

『パッション』Une femme mariée, un film de Jean-Luc Godard. ©1964 Gaumont / Columbia Films.

宇野:ああ、そうだね。っていうか、ホン・サンスみたいな形のゴダール・フォロワーもいるか。言われてみれば。

佐々木:そうだね。ホン・サンスは、最近のキム・ミニとの共同作業みたいなことを考えると、ちょっとゴダールと繋がる部分があるよね。

宇野:そう。だから、ホン・サンスは、ロメールよりもむしろゴダールなんだよっていう話を、前に森さんとして……。

森:そうそう。与太話の中で、「ロメールのふりしたゴダール」かもって(笑)。

佐々木:ああ、なるほど。でも、それは言えるかもしれない。だからやっぱり、ゴダールっていうのは、間違いなくゴダール的な何かっていうのを持ちながら、それがあまりにも多面的であるがゆえに、その一部を受け継いだ人は、それこそ世界中にいっぱいいるんだろうけど、それを全部受け継いだり、完全に乗り越えるような存在が、やっぱり映画史上、出てこなかったっていうことなんだろうね。まさに一代限りの存在というか。そういう意味で、やっぱり唯一無二の存在であると言っていいんじゃないかな。

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■配信情報
『女は女である』
『女と男のいる舗道』
『はなればなれに』
『恋人のいる時間』
『中国女』
『ウイークエンド』
『勝手に逃げろ/人生』
『パッション』
『右側に気をつけろ』
ザ・シネマメンバーズにて配信
ザ・シネマメンバーズ公式サイト:https://members.thecinema.jp/

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