『峠 最後のサムライ』が継承した黒澤映画の哲学 役所広司と仲代達矢の関係が意味するもの

『峠 最後のサムライ』にみる黒澤映画の哲学

 とはいえ、小泉監督の作品を観ている者であれば、本作の出来に大きな驚きはないはずだ。役所広司はじめ、キャストの演技を中心に、オールドスタイルともいえる画角で、着実に演出されている時代劇という印象であり、かつての黒澤明監督作のような意外性のある演出や、べらぼうな娯楽性があるわけでもない。ナレーションで歴史の背景を説明するところなどは、NHKの歴史ドキュメントのような生真面目な雰囲気が漂っている。しかし、日本映画の現状を見ていると、それが貴重なものに感じられるのも確かなのだ。

 かつて日本には多くの「撮影所」が存在し、それぞれの会社に所属していたスタッフたちが、培った技術を継承し洗練させ合う環境が整っていた。そこで映画監督の映画製作における哲学も先輩から後輩へと、連綿と受け継がれてきたのだ。黒澤作品に限らず、撮影所システムが機能していた時代や、それが崩壊して間もない頃の映画やドラマ、とりわけ時代劇は、そういう無形的な財産によって高いレベルが保てていたといえる。

峠 最後のサムライ

 そのように圧倒されるほどの良質な作品群と比べると、現在の日本の時代劇映画は、目に見えて完成度が落ちていっているように感じられるのである。それは、時代劇が比較的“専門的”な分野であると同時に、年々ジャンルとしてのニーズが衰えてきたことが影響したものだと思われる。かつて時代劇において、圧倒的な美術、照明、撮影スタッフの能力を誇っていたのが「大映」だったが、その技術を受け継いで、その後の日本の映画、ドラマの品質を支えてきた美術監督・西岡善信は2019年にこの世を去り、彼の立ち上げた職人集団「映像京都」も解散している。

 もちろん、個々のスタッフが自身の技術を後進に指導するケースはあるにしても、“時代劇職人”の代表が姿を消すなど、かつて栄華を誇った日本の技術の灯は、年々少なく、小さくなってきているという状況は間違いのないところだ。そのなかで、「黒澤組」の技術や哲学を部分的とはいえ継承している、本作のような作品の存在が、貴重でないわけがない。

峠 最後のサムライ

 本作で描かれるのは、江戸幕府が滅びゆくなか、その衰亡の結末を理解しつつも、時代のなかで矜持を示そうとする越後長岡藩の武士、河井継之助(役所広司)の精神である。前述したような日本映画の状況を踏まえると、これはある意味、監督を含めた元「黒澤組」の境遇や、日本映画の現状に流されて消えざるを得ない、かつての技術や価値観の話をしているようにも感じられる。

 役所が演じる継之助が仕える大名・牧野忠恭を仲代達矢が演じるという趣向も、まさに意図的に象徴された構図であろう。仲代達矢といえば、黒澤作品をはじめ、日本映画の栄華を経験してきた、現代の生きる“レジェンド”俳優であり、役所広司は、そんな仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」でキャリアを積んだ、もともと弟子にもあたる存在なのである。そんな間柄の俳優を、主君と家臣として配置して、幕府の“侍”精神を遂げさせるのである。

 これは、黒澤明監督の映画人としての精神を受け継いだスタッフ、とくに小泉監督自身の姿を暗示したものだとも思われる。つまり、劇中の主君と家臣の関係、そして仲代と役所との関係に、黒澤と自身を重ねているのではないか。そして、そんな本作を撮ることで、黒澤映画の哲学を部分的に引き継ぐ、自身の痕跡を現代に刻もうとする行為が、本作『峠 最後のサムライ』だったのだと感じられるのである。だとすれば、いささかカッコつけ過ぎのような気もするが、そんな生真面目さやナルシシズムは、本作の題材である“侍”が理想とした思想に近いものがあるかもしれない。

■公開情報
『峠 最後のサムライ』
全国公開中
監督・脚本:小泉堯史
出演:役所広司、松たか子、香川京子、田中泯、永山絢斗、芳根京子、坂東龍汰、榎木孝明、渡辺大、AKIRA、東出昌大、佐々木蔵之介、井川比佐志、山本學、吉岡秀隆 、仲代達矢
音楽:加古隆
原作:司馬遼太郎
配給:松竹、アスミック・エース
(c)2020『峠 最後のサムライ』製作委員会
公式サイト:touge-movie.com

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