『お勢、断行』2年の時を経てついに上演 倉科カナが花開かせる“乱歩ワールド”

倉科カナが花開かせる“乱歩ワールド”

 世田谷パブリックシアターにて上演され、現在全国を回っている舞台『お勢、断行』。本作は、江戸川乱歩の作品世界を下敷きに倉持裕が作・演出を務め、ある資産家の屋敷を舞台に稀代の悪女・お勢を中心とした人々の“善悪”がせめぎ合い、やがて惨劇へと発展していくさまを描いたものだ。2020年の“全公演中止”から早2年。お勢を演じる倉科カナが座長を務め、謀略をめぐる豪華絢爛な“乱歩ワールド”を花開かせている。

 物語の舞台は大正末期の東京。女流作家のお勢(倉科カナ)は、資産家・松成千代吉の屋敷に身を寄せている。この屋敷には彼女のほかに、千代吉の愛娘である晶(福本莉子)と住み込みの女中・真澄(江口のりこ)、そして、千代吉と小姑・初子(池谷のぶえ)からの圧力に苦しむ後妻・お園(大空ゆうひ)が住んでいた。ある日、千代吉から屈辱を受けた代議士の六田(梶原善)とお園が結託し、松成家の財産を奪い取る計画を立てる。女中、精神病院の医院長(正名僕蔵)、電燈工夫(堀井新太)らを巻き込んで千代吉を狂人に仕立て上げ、彼を精神病院に入院させようというのだ。この悪企み、首尾よく進むかに見えたものの思いがけぬ殺人が起き、やがて事態は誰もが予想だにしていなかった惨劇へと発展していくことになる。

 とある屋敷を主な舞台とし、物語が進行していく本作。可動式のセットとプロジェクションマッピングを多用した照明技術、そして斎藤ネコが手がけた音楽などによって、この屋敷が見せる表情はじつに豊かだ。物語は登場人物たちが入り乱れ、群像劇の様相を呈している。冒頭のオープニングシーンでは、“舞台上に存在するすべて”が有機的に作用し合って化学反応を起こし、その後に展開する“乱歩ワールド”を示唆しているかのよう。

 群像劇とはいえ、やはり主人公はお勢だ。このシーンの最後に舞台中央で倉科カナが屹立すると、まだ物語という物語は始まっていないというのに、筆者は思わず落涙してしまった。そして心の中でスタンディングオベーションをした。客席の中には同じような状態の方が少なからずいたのではないかと思う。本作は先に述べているとおり、2年前に全公演が中止になった作品だ。ゲネプロ(最終リハーサル)までは行われたものの、観客を前にして上演されることはなかった。当時の関係者たちの胸中は計り知れない。コロナ禍によって“配信”という演劇の新たな希望も生まれたが、やはり演劇は“ナマモノ”だと考える方は多い。演劇とは劇場でこそ、作り手と観客とがある種“共作”するものだと筆者は考えている。だから筆者はゲネプロではなく、否が応でも開幕初日に立ち会いたかったのだ。

 そんな作品の中心に、再び、いや初めて立つ倉科は、自信に満ち溢れている。もちろん彼女が演じるお勢というキャラクターの性質もあるのだろうが、2年の時を経て、満を持してこの作品の中心に立って芝居に取り組む歓びが、全身にみなぎっているのを感じた。吐き出すセリフの一つひとつが鋭利かつ強靭で、それでいて身のこなしは優雅。何事にも物怖じせず、謀略には謀略をもって制そうとするお勢のメンタリティを体現している。初日に舞台上から満員の客席を目にした倉科こそ、まさに泣きたい気持ちだっただろう。むろん物語が進んでいくと、2年越しに悲願の座長を務めることが叶った倉科カナは消え、舞台上にあるのはお勢という存在のみだ。昨年末に上演された『ガラスの動物園』では心優しくか弱いローラを演じていたが、本作の倉科はその真逆。痺れるカッコ良さである。

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