『鎌倉殿の13人』『犬王』『平家物語』のキーマン 佐多芳彦に聞く、“中世ブーム”の理由
山田尚子監督×サイエンスSARUによるTVアニメーション『平家物語』、三谷幸喜脚本によるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、そして湯浅政明監督による『犬王』と、平安時代末期から室町時代にかけての日本中世を舞台にした作品がたて続けに制作されている。この3作品に「歴史監修」「風俗考証」として参加しているのが佐多芳彦氏。一体、歴史監修、風俗考証とはどんな仕事なのか? そして、なぜ今“中世”が求められているのか? 佐多氏に中世の魅力を語り尽くしてもらった(編集部)
「歴史監修」「風俗考証」の役割とは?
――近年のドラマや映画では、「歴史考証」の重要性が増すと同時に、その役割が細分化されているように思います。まず、それについては、いかがですか?
佐多芳彦(以下、佐多):僕が「考証」という形で映像作品に関わるようになったのは、2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』からなのですが、「考証」の役割が複雑になってきたのは、僕の感覚では、恐らくここ10年、15年ぐらいの話であるように思います。その背景には、インターネットが普及して、それからTwitterなどのSNSを利用する人が増えてきて、ドラマを観たあと、視聴者の方がすぐにレスポンスを返してくれるようになったこともあるのでしょう。ストーリーの正確さはもちろん、衣装や美術に関しても、正確さが問われるようになってきた。それは、「考証」のバリエーションを見ていてもわかりますよね。現在僕は、「風俗考証」という形で大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に参加させていただいているのですが、このドラマには僕の他に、「時代考証」「公家文化考証」「中世軍事考証」「建築考証」など、大勢の専門家の方々が参加しています。
――大河ドラマは、特に専門家の先生が多く参加している印象があります。
佐多:そうなんです。あともうひとつ、大河ドラマに関して言うならば、ここ10年ぐらいで、脚本の斬新さやストーリーの新鮮さが、視聴者から求められるようになってきているところがあって。要するに、戦国と幕末・明治が大河ドラマの定番だったわけですが、あれだけ何本も作ってしまうと、さすがに新しいところがないんですよね。そうなってくると、史実をもっと反映させたり、あるいは史実のグレーゾーンをはっきりさせて、そこに創作の可能性を求めるようになってくる。であれば、脚本を作る段階とか、それ以前のコンセプトを立ち上げる段階から、専門家の意見を聞いたほうがいい。そういうニーズが、恐らくここ10年、15年で、出てきたのではないでしょうか。
――なるほど。
佐多:たとえば、今回の『鎌倉殿の13人』がいい例だと思いますけど、ひと時代前だったら『源平盛衰記』や『平家物語』といった歴史資料をもとにすれば、それで良かったわけです。でも、今はさすがに、いろんな歴史研究が進んでいて、「そうではない事実」というのが、たくさん出てきているんですね。源平合戦のいろいろな真実も、研究によってわかってきているので。そうなると、それを知っている人――たとえば、大学などでそういった最新研究を習った人たちは、「それは史実と違うじゃないか」となるわけです。で、そういうものに、ある程度対応するのが、大河ドラマのひとつの役割でもあって……大河ドラマには、歴史の「推定復元劇」としてのテイストも、やっぱりありますから。
――確かに、大河ドラマには、そういう側面もあるように思います。
佐多:ただ、そういう歴史の真実みたいなものがわかったほうが、面白いこともあるわけです。かつてはこう考えられていたけど、実際はこうだったんだっていう。そういう驚きがあるということも含めて、「考証」という仕事が、それまで以上に必要となってきたところもあるのではないでしょうか。とにかく、求められる情報の質と量が増えてきて……ひと口に「考証」と言っても、たとえば「歴史考証」というのは、基本的には、脚本や筋書きの考証を行うわけです。一方、僕が担当している「風俗考証」というのは、衣装や儀式・儀礼など、主に画面作りに関わる考証を行うことが多いんですね。そうやって、自然に分業・細分化されていったところも、多分あるのではないでしょうか。
――なるほど。大河ドラマの場合は、2020年の『麒麟がくる』が4K放送されるなど、画面の解像度が格段に上がっています。それも、多少関係しているのでしょうか?
佐多:それは、大いに関係していると思います。やっぱり、カメラの進化ですよね。僕も今回参加して、10年前と違うなと思ったのは、今はもう服の素材まで視聴者にわかってしまうんですよ。たとえば、絹織物というのは、織り目が細かくて光沢がしっかりあって、庶民が着ている普通の布とは、全然質感が違う。そういうところまで、視聴者にわかるようになってしまった。だから、我々としては、非常にやりがいがありますけれど、衣装部の人たちは、かなり大変になってきていますよね(笑)。
――そうですよね(笑)。それこそ、ひと昔前は画面が暗かったから、よくわからなくても大丈夫なところもあって……。
佐多:そうですね。かつては、時代劇の格好をして歩いているだけで、やっているほうも観ているほうも、ちょっと満足しているようなところがあったじゃないですか(笑)。でも、今はもうそういう感じではないですよね。先ほど言ったように、インターネットによって情報がたやすく入ってくるようになって、かつては10のうち7ぐらいでOKと言われていたものが、もうそれでは無理になって、今は9ぐらいまで詰めていかないとならない。いわゆる「お約束」みたいな妥協点が、いっさい通じなくなった。それが、現状なのではないかと思います。
――ちなみに、佐多先生のご専門は、朝廷や公家の礼式を研究する「有職故実」ということですが。
佐多:そもそもの入り口は、平安なんですよね。平安時代の貴族の服装とか儀式・儀礼に関して、いちばん最初に興味があって。それで勉強し始めたんですけど、服装の研究をやろうと思うと、その服を着るTPOというのが問題になってくるわけです。そうすると今度は、儀式とか儀礼に興味が行って……で、平安をやると、だんだん朝廷貴族社会だけでは済まなくなって、そこに武士が入ってくるわけです。で、じゃあ武士っていうのは、どうやってそこに関わっていったんだろうと進んでいくうちに、まあ気がついたら、江戸の初めまで扱うようになってしまったという(笑)。そういう感じなんですよね。
――朝廷や公家の儀式というのは、想像するだけで、ものすごく複雑そうです。
佐多:もう、本当に(笑)。朝廷だけでも、気が遠くなるほど複雑で。ただ、面白いという点では、やっぱり面白いんですよね。そういう朝廷や公家の世界に、だんだんと武士の人たちが入ってくるようになって。僕ら現代人は、武士のことを、実は全然知らないんですよね。それは多分、太平洋戦争より前の世界では、武士というのは、朝廷に弓引く者だったわけで……だから、その時代の研究が、正直あんまりパッとしていないところがあるんです。
――天皇に反旗を翻した「逆賊・足利尊氏」的な?
佐多:そうそう(笑)。まさに、そういうことで、武士について研究するなんて、しかもそれを肯定的に捉えるなんて、戦前はご法度だったんです。ところが、終戦を迎えてから、そこが自由になり、しかも、いろんなものを批判的に見るような歴史学が育ってきた。それで、武士のことが、やっと取り上げられるようになったんです。ですから、昨今の「中世ブーム」というのは、ひとつには、そういう大きな流れがあって。戦後70年、80年経って、やっと歴史学における中世史研究の成果が、あるレベルに達した。しかも、その知識が、出版とかインターネットとか、いろんな形で一般の人々に拡散されるようになってきた。で、そうやって新しい知識に触れることによって、たくさんの人が「あ、こんなに面白い時代があったんだ」って思ったり、そこで「新たな武士像」みたいなものに出会ったり。そういう中で、「中世」というのが、ひとつの可能性を持って、新たに注目を集めるようになってきたのではないでしょうか。