神山健治&荒牧伸志監督『攻殻機動隊 SAC_2045』から考える、CGと実写の境界

『攻殻機動隊 SAC_2045』で知るCG

 近年の大作ハリウッド映画の背景は、CG合成が多くを占める。役者はたくさんのシーンをグリーンバックを背に演技しており、役者の肉体と衣装以外で画面に映るものは、カメラで現実を切り取った文字通りの「実写映像」とは言い難いものになっている。

 それでもそれらの作品群を、私たちは「実写映画」と呼んでいる。画面上のほとんどの要素が、精巧に現物に擬態化したデジタル絵であっても本物と見分けがつかないし、肉体を持った役者は、少なくともカメラの前に存在している。ハリウッドも、役者の肉体をカメラで収めることはいまだに放棄していないということは、現在、実写を実写たらしめているのは、役者の肉体なのだろうか。

 では、役者の肉体運動をデータ化するモーションキャプチャーで制作された映像は、実写映像と見なし得るだろうか。例えば、神山健治&荒牧伸志監督の『攻殻機動隊 SAC_2045(以下SAC_2045)』や『ULTRAMAN』は、全編モーションアクターが実際に芝居している。

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 しかし、『SAC_2045』を観て、実写っぽいなと思う瞬間はあっても、実写映画と感じないだろう。

 とはいえ、日本のセルルックのアニメを観た時の感触とも異なるので、「何を観たんだろう」という、奇妙で新鮮な気分が残る。今観たものが実写なのか、アニメなのか、よくわからないがゆえに評価軸を持てないままの人もいるのかもしれない。

 作られ方は酷似しているのに感触の違いは残る。ならば、その感触の違いはどこから来るのか。

 映像を構成するものは、画面に映るテクスチャーと運動だ。ならば、その2つと作り方の違いを検討することで、『SAC_2045』のような作品の正体を突き止めることができるかもしれない。

 本稿では、デジタル時代の実写とアニメーションの違いを、(1)作り方、(2)テクスチャー、(3)運動の観点から整理しなおすことで、改めて実写とアニメーションの違い、あるいは同一性について考えてみたい。

「実質アニメーション」なハリウッド映画

 伝統的な実写映画作りのプロセスは、主に3つの段階に分けられる。プリプロダクション、撮影、ポストプロダクションだ。

 撮影前に脚本や絵コンテを書き、キャスティングやロケハン、必要な小道具などを作るのがプリプロダクション、撮影の説明は不要だろう。そして、撮影で得られた素材を編集して映画として磨いていくのがポストプロダクションだ。

 撮影は、ロケーションやセットで役者が演じるところを撮っていく。ロケ場所の都合や、その場で思いついたアイデアも適宜盛り込みながら、より良い素材を条件が許す中で撮っていく。絵コンテは用意する場合も用意しない場合もあり、絶対の指針としては機能しない。あくまでカメラの前の現実にあった「痕跡」を記録しているのが実写映画であると言われてきた。

 対して、伝統的なアニメーションの製作は、演出家の用意した絵コンテが映画全体の設計図となる。同じキャラクターであっても、カットごとに別々のアニメーターが描き、さらに、背景とキャラクターも別々に描かれるため、統一的なビジョンが必要とされるからだ。

 アニメーション演出において絵コンテは最も重要なものと言われる。神山監督は「アニメの場合、絵コンテの段階でほぼ完成映像と同様の演出プランを提示しておかなければならない」(※1)と語っており、プリプロダクションの段階で完成映像を完璧にイメージし、その通りに仕上げねばならない点が、作り方のプロセスにおける、実写とアニメーションの大きな違いだ。端的に言うと、実写とアニメーションでは、アドリブや偶然の要素が入り込む余地の幅が異なる。実写の現場の方がアニメーションに比べてはるかに偶然の要素に支えられている。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を本連載で取り上げた時、庵野秀明監督が従来の絵コンテ主義的なアニメ製作からの脱却を図っていたことを紹介した。具体的には、モーションキャプチャを導入し、実写の作り方を参考に一部の製作プロセスを改良したのだ。(※2)

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 『SAC_2045』と『ULTRAMAN』の両作品は、全編をモーションアクターに演じさせている。絵コンテも用意されているが、それに縛られすぎずに、ある意味伝統的な実写の撮影のように、生身の肉体を前に監督が演技指導し、その場で動きを作っているわけだ。

神山:アクションも含め芝居のシーンは、すべて役者さんに本当に演じてもらっているんですよ。

読み合わせを何度もやっていて、呼吸や間というのもアクターが演じた演技をそのまま使っています。そこに生っぽさが出ているんじゃないかなと。(※3)

 荒牧伸志監督は、『ULTRAMAN』以前からこの手法で作品を作り続けている。2004年公開の初長編作品『APPLESEED』の段階でモーションキャプチャーを導入しており、この手法の第一人者と言っていいだろう。

 この手法は、従来のアニメーション製作とは異なる感覚を製作者たちに与えているようだ。2014年の『アップルシード アルファ』の時のスタッフ座談会がそれを端的に示している。

河田:僕ももう、荒牧とは長いつきあいになるんですけど、彼のことをアニメ畑の人だと思ったことはないんです。どちらかといえばハリウッド映画的な、実写映画の人だとずっと思っているんです。
<中略>
荒牧:やっぱりモーションキャプチャーで役者さんの演技を撮ることが前提にあって、そこは大きいんじゃないかと思いますね。レイアウトは絵コンテで固めるんですけど、細かい芝居はキャプチャーの時に役者さんに考えてもらうし、こちらからも指示を出す。そういう考え方になっているのかな、と。
<中略>
松本:逆にコンテでカッチリ仕上げて、それにあわせた演技を役者さんにやってもらおうとすると、どうしてもぎこちなくなっちゃうんですよね(笑)。(※4)

 『SAC_2045』と『ULTRAMAN』では、モーションアクターの名前が役を演じた人物としてクレジットされている。それは、アクターの動きがキャラクターを表現する上で重要だからだ。実写映画同様、だれをキャスティングするのかも、演出として重要な要素なのだ。

荒牧:今回、モーションキャプチャのアクターを役名付きでクレジットしているのは、すごい動きをしてくれたからではなく、キャラクターやシーンの意味も踏まえた上で、シーン丸ごとその場で演じてくれたことへの感謝と敬意を込めたからです。(※5) 

 荒牧監督はフル3DCG映画『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』の製作時には、わざわざモーションアクターにアメリカ人キャストを起用している。日本人の仕草とアメリカ人の仕草はどうしても違いがあるからだ。この作品のモーションアクター陣の中に、たまたま結婚予定のカップルがいたというエピソードは、モーションキャプチャ―による芝居作りのメリットが端的に表れている。

ラブシーンで男女が仲良くなるシーンを撮らなくてはならなかったんですが、たまたま選んだ6人の男女の中に偶然来月結婚式を挙げるというカップルがいるということが選んだ後から判明しまして。
<中略>
こっちは顔を近づけて抱き合うくらいでいいと思っていたのに、何にも言わないでブチュっとキスまでしちゃって「あーもーそこで終わり終わり」みたいなことも含めて臨場感のあるシーンが画面にも反映されて良かったかなーと思います。(※6)

 では、現在のハリウッド大作映画はどう作られているのか。

 画面におけるCGの比重が大きい昨今の作品では、あらかじめCGと役者を合わせた完成映像の設計図を緻密に組み上げる必要がある。いわゆる「プリヴィズ」と呼ばれる動く絵コンテの発展形のようなものを作り、撮影もCG製作もその設計図通りに行うことが通例となっている。そこには撮影現場でアドリブや偶発性を取り込む余地は少なくなる。動きがズレて、CGも当然やり直しになってしまうからだ。

 荒牧監督は今のハリウッド映画の作り方を以下のように端的に説明している。

荒牧:例えば『アベンジャーズ』はNYの街でバトルをしていますが、実際には丸ごと全部CGです。実写は全体の1/3くらい。NYを丸ごとCGにしていて、その中にCGでアクションを作っていると考えていただくのがいいかもしれません。
<中略>
『ゼロ・グラビティ』にジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックが出ていますが、本当にでているのは顔だけ。身体は全部CGです。彼らがスタジオに来る前に、別の俳優がモーションキャプチャ―をして、体は全部作ってあり、最終的に表情のところだけジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックが演じて、合成したのです。(※7)

 そういう作り方のハリウッド映画を、神山監督は「実質アニメーション」だと言う。(※8)作り方という点で、アニメーションと実写は限りなく接近しており、部分的にはすでに変わりがない。「いずれすべての映像作品の製造放送は、なんらかのフォーマットに画一化される日が来るのかもしれない」(※9)と神山監督は2006年の時点で発言しているが、それは的を射ていた。

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