『ホークアイ』は何を描いていたのか クリントをふたたびニューヨークに立たせた真意

『ホークアイ』は何を描いていたのか

 二人をつけ狙うのは、“トラックスーツ・マフィア”と呼ばれる、ジャージを着たギャング団と、さらに彼らを率いる、“エコー”ことマヤ・ロペス(アラクア・コックス)。マヤは父親を殺害したローニンへの復讐を誓い、クリントに接近する。そして、そんな犯罪組織の背後には予想もしなかった影の人物が暗躍していることも分かってくる。これらの敵から逃走するために、クリントの持っている数々のギミックが仕込まれた矢を次々と放っていくアクションは、本シリーズで最も楽しい見どころとなっている。

ホークアイ

 また、“エコー”ことマヤに関しては、本シリーズの配信開始時点で、彼女を主役とするスピンオフドラマ『エコー(原題)』が製作されることが発表されている。マヤはネイティブ・アメリカンで、耳の聞こえないヒーローという設定。その役を演じるアラクア・コックス自身も、ろう者でありネイティブ・アメリカンの俳優である。

 ろう者の俳優が出演した『エターナルズ』のように、これまで映画業界では、耳の聞こえない登場人物を、聞こえる俳優が演じることが多かった。そして、それがその俳優の演技力として長年の間評価されてきたのだ。しかしその分、実際のろう者が活躍できない状況がなかなか改善されてこなかったことも事実である。つまり、耳が聞こえない役自体が存在するにもかかわらず、それを当事者たちが演じるチャンスがほとんどなかったということだ。

 近年のアメリカの映画界では、そんな状況に変化が生まれている。『クワイエット・プレイス』シリーズや、2022年1月に日本で公開される『Coda コーダ あいのうた』などでは、ろう者の俳優が重要な役を演じ、活躍している。注目すべきは、そこで活躍する俳優たちが、これまでの俳優同様に魅力的で、もちろんろう者としての演技には、それ以上の大きな説得力があるということだ。本作でエコーを演じたコックスもまた、そんな俳優の一人であり、さらなるスピンオフドラマ主演によって、自身のみならず後進の新たな活躍の場をも広げていくことになるだろう。

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 さて、ホークアイの心の問題の話に戻ろう。結論から言ってしまえば、彼が受けた重圧がすべて解消されることはあり得ない。そんな描き方をしてしまえば、実際に命を脅かされたり、敵兵を殺してきた経験のある兵士の心の変化を軽視することに繋がり、『アベンジャーズ』シリーズが、ただの絵空事となってしまうからである。そして、クリントが地球や宇宙を救う戦いに参加したとしても、それとは別に、犯した罪を背負っていく必要があるはずなのだ。

 だが、ナターシャ・ロマノフの件に関しては、彼に責任があるといえるだろうか。彼女が宇宙のための犠牲となることを、クリントは必死に止めようとしていた。そのことはクリント自身も頭では分かっているはずだし、誰ひとり彼を責めたりはしなかったはずだ。しかし、自分だけが生き残ったということにどこかで罪悪感を覚えていて、それが彼を苦しめていただろうことは、想像に難くない。それが、仲間を目の前で失った帰還兵の典型的な心の動きだからである。宇宙の数多くの生命体がナターシャに助けられたにもかかわらず、罪の意識の大部分を引き受けているのはクリントなのだ。

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 そのように絶えず葛藤を抱えているクリントの前に現れるのが、フローレンス・ピュー演じる、新たな“ブラック・ウィドウ”、エレーナである。映画『ブラック・ウィドウ』で描かれたように、エレーナにとって最も大事な存在はナターシャだった。そんなエレーナは、姉への愛情と、彼女を失った怒りをぶつけるように、クリントを罵りながら殴打する。一方的に痛めつけられていくクリントだが、ある意味でこれは、彼にとって救いになっている部分もあるのではないか。

 戦争における被害者と加害者が、対話したり相互理解を深めることで、双方の感情を次の段階に進ませるという一つの方法があるように、ここでのエレーナとクリントのやり取りは、お互いにやり場のない気持ちを整理させる意味があるように感じられる。前述したように、客観的に見ればクリントのナターシャに対する責任は薄い。そんな事実を遺族に整理しながら説明することで、クリントはナターシャへの罪悪感が軽減されている部分があるはずである。そして、エレーナもまた、このことによって前に進めるようになるのではないだろうか。

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 何より、ナターシャのことをこれほど重く考える者たちがいるということが、彼女への“はなむけ”になっている部分もある。『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、少なからずナターシャが犠牲になった展開を批判する声があった。娯楽映画において女性の死が、ある種の感情やドラマチックさを引き出すために配置されるストーリーは、古い価値観による作劇の典型だという。この批判がナターシャの死のシチュエーションに当てはまっているかどうかについては様々な意見があるだろうが、少なくとも本シリーズでは、彼女の死が、生きている者たちに様々な意味で影響を与えていることを描くことで、その点を埋め合わせているように感じられる。

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