社会や自分自身を見直すきっかけに 『キャンディマン』に込められた真のメッセージ
『ゲット・アウト』 (2017年)、『アス』(2019年)を監督として手がけ、アフリカ系アメリカ人の視点から社会問題を力強く描いた新しいホラージャンルの潮流を生み出しつつある、ジョーダン・ピール。今回は、1992年に公開された同名のホラー映画を基に脚本を書き、新たに『キャンディマン』を現代に甦らせた。監督は、『キャプテン・マーベル』(2019年)の続編を手がけることでも注目されている、ニア・ダコスタだ。
本作が描くテーマをすぐに理解するのは難しいかもしれない。なぜなら、ジョーダン・ピールの書く物語は複雑であり、人種問題をテーマにしていることはすぐに了解できても、それが単に「人種差別をやめよう」というメッセージにとどまらずに、より深層部分をえぐるものとなっているからだ。ここでは、そんな本作がうったえかける真のメッセージを読み解いていきたい。
本作の導入部は、シカゴの低所得者が多く住む「カブリーニ=グリーン」という地区の、70年代の光景から始まる。その公営住宅で一人の少年が、片腕が“鉤爪(かぎづめ)”で、もう片方の手で飴を差し出す男“キャンディマン”に遭遇する。
この公営住宅「カブリーニ=グリーン・ホームズ」は、実在した建築群ではあるが、90年代から2011年の間に段階的に取り壊され、現在その姿を現地で見ることはできない。この建物が取り壊されることとなったのは、質の良くない建築が老朽化したことにくわえ、周辺で凶悪な事件が多発していたためだ。シカゴはアメリカの中でも犯罪率が高い都市として有名だが、「カブリーニ=グリーン」は、そんな治安の悪さの象徴となっていたところがある。
クライヴ・バーカーの原作を映画化した、1992年のオリジナル『キャンディマン』もまた、この公営住宅を重要な場所として登場させていた。鏡の前で「キャンディマン」と5回言うと、キャンディマンが殺しにやってくるという「都市伝説」について調べていた大学院生のヘレンは、噂の発生源が「カブリーニ=グリーン」だと知り、実地調査を始める。
本作同様、オリジナル版も超自然的な恐怖が描かれるが、その描写の背景では、この地域が貧困や治安の悪さに悩まされていることが示唆され、対比として街を高みから睥睨するリッチな高層マンションが配置された。さらには、荒廃した住環境に裕福な人物が見学にくる人権侵害「スラムツーリズム」に類した問題を描くなど、そこでは恐怖映画が、社会問題を含んだ一種の皮肉な「都市論」として成立していたのである。この洗練されたアプローチが、ジョーダン・ピールのホラー映画におけるイマジネーションの源泉になっただろうことは、想像に難くない。
オリジナル版公開後、この公営住宅では、実際に子どもが被害者となった、あまりにも陰惨な事件が起きている。それが公営住宅の寿命をさらに縮める結果になったように、このような悲劇的な出来事もまた、否応なく本作の暗いイメージを強化することになった。
『マトリックス レザレクションズ』で新たにモーフィアス役に抜擢された、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世が演じる、本作の主人公アンソニーは、高層マンションの広々とした一室で恋人と同棲する、新進の画家である。彼は長らく絵の題材に悩んでいたが、アフリカ系への人種差別をテーマにすることで、作品と自分の繋がりを強く感じ、活路を見出し始める。そして、数々のアフリカ系の市民が経験した悲劇を、「キャンディマン」という“復讐者”に託していくのだ。
一時は忘れ去られようとしていた「キャンディマン」の都市伝説は、「カブリーニ=グリーン」を実地に調査したアンソニーの絵画を起点に、またしても周知されていく。本作で展開するキャンディマンのいくつもの怪異は、都市伝説が広まることでより強くなっていくようである。その過程でアンソニー自身が、キャンディマンになっていくような奇妙な感覚にとらわれるのは、アフリカ系市民の苦難を描く絵画制作のなかで、描く対象と感情が同一化していくことと連動している。芸術活動における制作と発表が、キャンディマン復活への流れとなっているのである。それはまた、終わったはずのシリーズを再び映画化した本作そのもののことでもあるだろう。