エリック・ロメール作品はなぜずっと愛され続けるのか 宇野維正×森直人が魅力を語り合う
独自のセレクトで今話題となっているミニシアター系のサブスク、【ザ・シネマメンバーズ】。9月は、『喜劇と格言劇』シリーズ6作に、『レネットとミラベル/四つの冒険』『木と市長と文化会館』『パリのランデブー』の3作を加えたエリック・ロメール9作品を配信。エリック・ロメールの作家性とその魅力を存分に堪能できるセレクションとなっている。
ザ・シネマメンバーズでは、ロメール作品以外にも、今までなかなか観る機会がなかった映画が厳選され、特集のイントロダクションとなる記事とともに楽しむことができる。前回のウォン・カーウァイ回(宇野維正×森直人、ウォン・カーウァイを語る MCUから『ムーンライト』にまで与えた影響)に引き続き、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正、映画ライターの森直人に対談形式で、2人とも「大好き」だというロメールをとことん語り合ってもらった。
「ロメールを嫌いな人なんていないんじゃない?」
宇野維正(以下、宇野): 最初にちょっと偽悪的な話をすると、映画監督にも“株”みたいなところがあって、“市況”にその評価が影響されたりするじゃない? だけど、ロメールって、一度も評価が落ちたことがないし、毀誉褒貶みたいなものもまったくないよね。個人的にも、ロメールの映画を観てガッカリしたことは一度もなくて。もはや、そういう資本主義的な価値観やポップカルチャー的な歴史観から離れた場所にいる。
森直人(以下、森):だから宇野さん、興味あるのかなとちょっと思っていて。今、おっしゃったように、ロメールはポップカルチャーとはあまり関係ないところに、ずっといた人じゃないですか。
宇野:いやいや、自分はもともと、学生時代にシネヴィヴァン六本木(日本における「ミニシアターブーム」を牽引した映画館のひとつ。1983年開館、1999年閉館)でバイトをしてたので。
森:そうだった(笑)。失礼しました。
宇野:むしろ、ロメールの映画の近くにいたいからそこで働いてたと言ってもいいくらい。今回配信されるラインナップだと、『満月の夜』(1984年)、『緑の光線』(1986年)、『友だちの恋人』(1987年)、『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987年)、『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(1993年)、『パリのランデブー』(1995年)は全部日本での初公開はシネヴィヴァンだった。当時だけでも、仕事の合間に数えきれないほど繰り返し観てた。
――当時は「ロメールと言えばシネヴィヴァン」というイメージも少なからずありました。
森:僕が東京に出てきたのは1997年なので、それまでロメール作品は大阪で観ていました。僕もロメールの映画は本当に心底大好きで、パンフも毎回買っていたぐらいです。シネヴィヴァンって、映画館の名前入りのオリジナルのパンフを作っていたじゃないですか。大阪のミニシアターでパンフを買っても、毎回ヴィヴァンのロゴが表紙についているわけですよ。それを見て、「ああ、花のお江戸では、シネヴィヴァンで上映してるんだ」って(笑)。
宇野:というか、ロメールの作品を観たことがある人で、ロメールを嫌いな人なんていないんじゃない? まあ、ちょっと合わないっていう人はいるかもしれないけど、それでもその魅力は分かる、みたいな。
森:そうですね。さっき宇野さんがおっしゃった“株”の話は、確かに面白いですね。ロメールは、もともとヌーベルバーグの“長兄”なんです。(ジャン=リュック・)ゴダールとか(フランソワ・)トリュフォーよりも10歳ぐらい年上で(※ゴダール/1930年生まれ、トリュフォー/1932年生まれ、ロメール/1920年生まれ)。“トキワ荘”で言うところの“テラさん”、寺田ヒロオみたいな存在だったというか。
――トリュフォーの『大人は判ってくれない』が1959年、ゴダールの『勝手にしやがれ』が1960年、ロメールの長編デビュー作である『獅子座』(1959年)がフランスで公開されたのが1962年だから、監督デビューもいちばん遅かったんですよね。
森:そうそう。で、その『獅子座』も、他のヌーベルバーグの作品に比べると、全然尖った映画じゃなかった。そのときから、ひとりだけ大人の“抜け感”みたいなものもあって、すでにロメールらしさが確立されていた。ゴダールやトリュフォーはいかにも若い才気に満ちていて、トキワ荘でいうと石ノ森章太郎や赤塚不二夫みたいな(笑)。
宇野:ロメールの作品で、日本公開がいちばん早かったのってどの作品になるんだろう?
森:日仏会館やアテネフランセみたいなシネマテーク的な場所での上映はあったかもしれないけど、普通にロードショー公開されたのは、多分『海辺のポーリーヌ』(1983年)が最初なんじゃないかな? この時の配給はフランス映画社で。
――『海辺のポーリーヌ』は1985年の6月に、日本公開されたようです(※『海辺のポーリーヌ』は、1983年に開催された第33回ベルリン国際映画祭で、監督賞と国際批評家賞を受賞した)。
宇野:1985年に初めて日本に紹介されたってことは、ゴダールやトリュフォーの作品とはそもそも日本での受容のされ方がまったく違うってことだよね。今だと、そういうリアルタイムにおける時代の遠近感が消滅しちゃって、わりとフラットにヌーベルバーグの代表的な映画作家として語られがちだけど。
森:そうなんですよ。ゴダールとかトリュフォー、あと(クロード・)シャブロルの映画は、ヌーベルバーグの文脈の中で、わりとリアルタイムに近い形で日本に入ってきたんだけど、ロメールに関しては、80年代半ばにミニシアターブームの流れの中で、日本でようやくちゃんと紹介されるようになって以降、日本の映画ファンの間に浸透していったんですよね。それまでは、噂だけ聞いていたというか、ヌーベルバーグの作家には、トリュフォーやゴダール、シャブロルだけじゃなくて、ロメールや(ジャック・)リヴェットっていう監督もいるらしいんだけど、その作品は観たことがないっていう(笑)。そういう状態が、結構日本では長く続いたんですよね。
宇野:リヴェットの場合は、ほぼタイムラグがなく1992年に日本公開された『美しき諍い女』が日本で大ヒットするみたいな現象もあったわけだけど、ロメールにはそういう興行的な特異点と言える作品もなかった。