『ジャングル・クルーズ』の“現代の映画”としてのスリリングさ 作品に反映された思想を解説
本作『ジャングル・クルーズ』は、まさにそのような“鈍感さ”を持っていた過去を、旅行客と“ヤラセ”を仕掛ける側との関係を描くことで、現在のアメリカ映画の基準に照らしながら風刺的に表現しているのである。この、“観光客側である自分たち”という自己言及、そして“アトラクションを提供してきた側”でもあるという自己言及を通して内省するところが、本作の“現代の映画”としてのスリリングさであり、見どころなのである。
本作で描かれるのは、それだけではない。フランク船長のもとに現れたエミリー・ブラント演じる、イギリスからやってきたリリー博士と、その弟(ジャック・ホワイトホール)、そして彼女たちを追う、ジェシー・プレモンスが演じるドイツの王族ヨアヒムは、アマゾンの上流に存在するという、伝説の“奇跡の花”を手に入れようとする。ここでドイツ人が登場するのは、伝説のエル・ドラド(黄金郷)を求め、ドイツの豪商などがアマゾンを捜索した史実が基になっていると考えられる。
『インディ・ジョーンズ』シリーズを想起させる、この秘境でのお宝争奪戦は、いまとなっては古典的な展開で目新しさには欠けるものの、現在のコロナ禍による世界的なパンデミックで、渡航などの行動が制限されている観客にとっては、結果的により楽しめる内容になったのではないだろうか。
そこに加えられているのが、16世紀に、同じくエル・ドラドを求めてアマゾン探索をしたスペインの軍人ロペ・デ・アギーレの物語である。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の代表作の一つ『アギーレ/神の怒り』(1972年)の題材にもなったアギーレは、スペインの君主を裏切り、ペルーで自身の王国を築くために統治者を殺害するなど、常軌を逸した行動をとり命を落とした人物である。
川を進みジャングルの奥地を辿る、征服者アギーレの狂気の探索は、西洋植民地主義を描いた小説『闇の奥』や、それを下敷きとした映画『地獄の黙示録』(1979年)にも通じている。冒険心を燃やす外国人たちが秘境の深部に迫るという物語は、一種の鏡であるかのように、力を持った国の人間による支配欲、征服欲を映し出しているところがある。
だが本作は、冒険をすることや外国の文化に触れることそのものを否定しているわけではない。リリー博士と弟のマクレガーは、アマゾン川流域に住む部族に出会い、その族長が女性であることを発見する。それは劇中で、当時のイギリス社会が、現在よりもさらに男性によって支配されていたことと対比されている。
イギリスやフランス、アメリカなどの先進国は、歴史の中で、現代につながる「人権」思想を醸成してきたという意味で、偉大な存在であるといえる。だが一方で、これらの国が女性を差別していたり、「人間動物園」を作るなど人種差別をしてきたことも事実である。その他の国々には、「人権」という考え方はないかもしれないが、歴史的に他国を支配してきたヨーロッパやアメリカの人々が学ぶことで、より新しい考え方を持った社会を作るために参考になる要素もあるはずだ。
リリーやマクレガーが最終的に冒険で得たのは、まさにそのような知識の財産であり、大英帝国博物館に収蔵されているような外国の文化財や、ビジネスに利用される資源などの収奪ではないことが、本作のポイントとなっている。現在において許容される“冒険”とは、そういった条件下において、謙虚な姿勢で楽しむべきものなのだ。
■公開情報
『ジャングル・クルーズ』
映画館・ディズニープラス プレミア アクセスにて公開中
※プレミア アクセスは追加支払いが必要
監督:ジャウム・コレット=セラ
出演:ドウェイン・ジョンソン、エミリー・ブラント
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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