日本アニメ映画史に刻まれる“傑作” 『漁港の肉子ちゃん』が描く日常におけるファンタジー

ジブリの感覚に近い傑作『漁港の肉子ちゃん』

 本作が想起させる作品といえば、最初に浮かんでくるのは、TVシリーズや劇場作品として、高畑勲監督の演出を中心にアニメ化された『じゃりン子チエ』(1981年〜)だろう。親の事情に翻弄され、小学生なのにしっかりした性格にならざるを得なかった少女の悲哀と希望を、日々の生活と笑いで表現した内容は、本作同様といえる。そして、吉本興業のお笑いタレントらを声優として起用するなど、お笑いの業界とアニメーション業界の橋渡しをしたのも『じゃりン子チエ』の特徴だ。この繋がりは、STUDIO4℃の『マインド・ゲーム』(2004年)でも再現されることとなった。

 『じゃりン子チエ』は、表面的には笑いに溢れた楽しい作品だが、描かれるチエちゃんの家庭は、両親の離婚や父親の放蕩のために貧しく、チエちゃんは小学生なのにホルモン焼きの店でホルモンを焼き続け接客までしなければならない。そんなチエちゃんの姿を、意地の悪い同級生たちは冷やかそうとする。『じゃりン子チエ』は、日本が経済成長を遂げていくなかで見過ごされてしまった人々や、社会的に弱い存在が受ける痛みを、笑いというオブラートに包んだ作品だった。

 その後、日本がバブル経済の成長と崩壊を通り抜けることで、『じゃりン子チエ』のような庶民の人情話からアニメーションは離れていったように思える。TVアニメ『サザエさん』は、すでに現実とは関係のない昭和の幻想を再現し続け、かろうじて『クレヨンしんちゃん』が現代人の生活のリアルを表現する役割を担うことになった。しかし、一戸建てを持って一男一女、ペットをもうける家庭を描いている『クレヨンしんちゃん』の生活ですら、格差が広がり続ける日本の貧困層からは、すでに見上げるような存在となっている。

 細田守監督の『未来のミライ』(2018年)に至っては、横浜の一等地でデザイナーズ住宅に住む家族や、その家系が日本の歴史とともに描かれていく作品だった。果たして、いま日本の観客のどれほどが、その家族に心を寄せられ、自分の物語として見ることができるのだろうか。その意味では、新海誠監督の『天気の子』(2019年)は、変則的ながら現在の日本を映し出していたといえよう。

 だが、こんな時代に復権しなければならないのは、やはり『じゃりン子チエ』のように、とくに“アニメファン”といえるような層ばかりが楽しむような内容ではなく、誰もが“普通に”楽しめて、親しむことができる作品なのではないのか。その意味では、渡辺歩監督がTVアニメ『団地ともお』(2013年〜)を手がけていたのは、本作にとって重要な要素だったといえるかもしれない。いま「ポストジブリ」なる存在があるとして、作らなければならないものは、楽しい笑いに溢れるとともに人間を深く描く『じゃりン子チエ』であり、『漁港の肉子ちゃん』ではないのか。

 そう考えると、本作の企画者でありプロデューサーである明石家さんまが、この原作小説に感動し、映像化に熱意を持っていたことは、非常に真っ当な感覚だったのではないか。少なくとも彼がいなければ、本作の企画が通ることはなかっただろう。もちろん明石家さんま自身は、アニメーション業界や専門的な技術について詳しい知見を持っているわけではないだろうが、だからこそ表面的な流行に惑わされずに、世の中の流れに本質的な意味で沿ったものを押し出すことができたのではないだろうか。その意味では、こういうプロデューサーこそが、じつはいまのアニメーション業界に最も必要だったのではないかとすら思えるのである。

 少し面白いのは、明石家さんまの以前のパートナーであった大竹しのぶが、肉子ちゃんを演じることになった点だ。大竹しのぶは、演技力では言うまでもなく日本でトップといえる実力者であり、『インサイド・ヘッド』(2015年)の登場キャラクター、カナシミの日本語吹き替えを担当するなど、声優としても一流の仕事をこなしている。肉子ちゃんの役も、テンションの高い話し方や年齢に合わせた声の質など、恐ろしいくらいに適切なバランスで完成されていて、神がかった演技を披露しているといえよう。号泣する場面でも「ガオーっ」と叫ぶなど、ほぼ必ずユーモアをとり入れていることで、映画は一貫して観客を泣かせようとするだけの姿勢を見せないのも素晴らしい。

 そして、作曲の村松崇継によるメロディーは、ときに喜劇調に、ときに悲しみに溢れ、そしてファンタジックにアレンジが変化しながら、ストーリーを盛り上げていく。本作の白眉となっているのは、この喜劇と悲劇の往還である。笑いと涙が、必ず一方に寄ることなく、絶え間なく動き続けるように描かれる。キクりんの興味を惹く同級生の少年の秘密が暴かれていく過程も見どころだ。ささやかな謎を追うストーリーのなかで、清廉潔白に見えたキクりんは、自身の醜い感情に思いがけず出会うことで、自分のズルさを認めて精神的な成長を迎える。

 そして、本作がとくに素晴らしいのは、喜劇と悲劇だけでなく、日常にファンタジーが存在することを無理なく描いているところだ。キクりんは、肉子ちゃんの恋人が買ってくる小説の世界に出会い、さらには同級生の少年が「寿(ことぶき)センター」なる施設で作っている模型に出会う。キクりんが目にしたみずみずしい感動は、世界が喜劇と悲劇だけでなく、現実を超えた美しい領域があることを表している。それが、キクりんの将来をほんのりと明るく照らし出しているのだ。そして、少年の作った模型に象徴されるように、それは全く現実と遊離したものではない。肉子ちゃんの大きな愛情があってこそ、キクりんは自分の幸せを模索することができる。本作はアニメーションにしかできない表現で、2人の間に生まれる希望を見事に描いたのである。

 素晴らしい物語があり、素晴らしいスタッフや演技者が丁寧に作品に向き合うことで、アニメーション映画は、ここまでの領域に到達することができる。本作が、その内容の素晴らしさと、口コミによって大ヒットすることになるかどうかはまだ分からないし、日本のアニメーションに大きなインパクトや決定的な影響を与えることになるのかも分からないが、少なくとも本作が、日本のアニメ映画史に刻まれる作品として、今後、アニメファンを超えた多くの人に愛され続けることになるのは間違いないだろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『漁港の肉子ちゃん』
全国公開中
企画・プロデュース:明石家さんま
出演:大竹しのぶ、Cocomi、花江夏樹、中村育二、石井いづみ、山⻄惇、八十田勇一、下野紘、マツコ・デラックス、吉岡里帆
原作:西加奈子『漁港の肉子ちゃん』(幻冬舎文庫刊)
監督:渡辺歩
キャラクターデザイン・総作画監督:小西賢一
脚本: 大島里美
主題歌:稲垣来泉「イメージの詩」作詞・作曲:吉田拓郎/編曲:武部聡志/サウンドプロデュース:GReeeeN (よしもとミュージック)
エンディングテーマ:GReeeeN「たけてん」(ユニバーサル ミュージック)
アニメーション制作:STUDIO4℃
配給:アスミック・エース
製作:吉本興業株式会社
(c)2021「漁港の肉子ちゃん」製作委員会
公式サイト:29kochanmovie.com
公式Twitter:@29kochanmovie

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