松坂桃李を“覚醒しない“主人公とした理由 『ここぼく』は“おとぎ話“から程遠い物語に

『ここぼく』覚醒しない主人公が意図するもの

 何度も同じことを書くが、これで神崎も変わるかと思いきや、次の日、神崎はかねてから付き合っていた彼女と何事もなかったように、ふわとろオムライスを食べているのであった……。

 神崎はその後、また大学のトラブルに直面する。大学で企画していたイベントに対して、大学に苦情や爆破予告が寄せられてしまい、このときも、持ち前の「何も意味のあることを言わない」ことで回避しようとし、恩師であり総長である三芳にも、その論法を薦める。

 しかし、神崎は総長に「何も言わない」ことを薦めたことに対しては、後ろめたい気持ちも感じていたのだった。

 総長も元はと言えば、みのりと同じく、何より研究の意義を感じ研究の楽しさを学生に伝えようとしていた考古学者であったが、総長の職につくにつれ、経営、つまりお金について考えざるを得なくなり、責任ある立場になればなるほど、何も言えなくなっていた。いわば、神崎と同じ状態に陥っていたのだった。

 しかし、外国人記者クラブでの記者会見の場で「何も意味のあることを言わない」と決めていた総長は、かつて研究の楽しさを伝えた教え子である外国人記者の「私が残念に思うのは、先生のその沈黙です」という一言が状況を変える。ここで「覚醒」したのは、神崎ではなく、総長のほうであった。

 番組の中盤を過ぎてもなお、しぶとく覚醒しない神崎を見ていると、『タクシー運転手』のマンソプとの違いを実感してしまうのだが、この神崎の「覚醒」のしにくさは、そのまま日本の状況にも繋がっているように思える。

 日本の、おかしなことは起こっていて、皆がそのおかしさに異を唱えているというのに、それでも、どうにもならない「変えられにくさ」を神崎のなかなか変わらないしぶとさに感じてしまう。このような「変えられにくい」世の中を描くときには、神崎のように、簡単に「覚醒」する人物を描いたのでは、ただの都合のいいおとぎ話になってしまう。だからこそ、普通ならば心もとなくて見ていられない神崎のような人物が主人公である必然性を感じるのだ。

 現実には、神崎ほどわかりやすくことなかれ主義の人間は少ないかもしれないが、かつては理想に燃えていた総長のような人の信念までもを、徐々に徐々に奪ってことなかれ主義に変えてしまう現実というものは存在する。

 残り2回の放送で、総長の信念を奪ってきたものや、神崎を簡単には覚醒させない「見えない壁」の存在が明らかになっていくことを期待したい。

■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

■放送情報
土曜ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』
NHK総合にて、毎週土曜21:00〜21:49放送 ※4K制作
出演:松坂桃李、鈴木杏、渡辺いっけい、高橋和也、池田成志、温水洋一、斉木しげる、安藤玉恵、岩井勇気、坂東龍汰、吉川愛、若林拓也、坂西良太、國村隼、古舘寛治、岩松了、松重豊ほか
作:渡辺あや
音楽:清水靖晃
語り:伊武雅刀
制作統括:勝田夏子、訓覇圭
演出:柴田岳志、堀切園健太郎
写真提供=NHK

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