藤岡弘、と『仮面ライダー』の50年 若いヒーローたちへ「ドラマチックな歴史を知ってほしい」

藤岡弘、と『仮面ライダー』の50年 若いヒーローたちへ「ドラマチックな歴史を知ってほしい」

 かつて川崎市に存在していた東映生田スタジオ。このスタジオに若きスタッフ、キャストが集まって制作されたテレビドラマが、今もなお熱い人気を誇る特撮ヒーロー作品『仮面ライダー』だ。

 漫画家・石ノ森章太郎がデザインした、バッタをモチーフとした変身ヒーローは全国の子どもたちを魅了した。しかし制作現場の裏側では、撮影開始間もなく、主人公・本郷猛を演じる藤岡弘、のオートバイ転倒事故から放映存続に関わる危機が訪れていた。そこで番組プロデューサー平山亨の機転で仮面ライダー2号誕生の案が生まれる。本郷は敵組織ショッカーの別計画を追って海外へ飛び、代わりに日本を守るのが一文字隼人、仮面ライダー2号という筋書きだ。まさに怪我の功名で、この2号ライダーをきっかけに後続の仮面ライダーが次々と生まれ、昭和から平成、そして令和に続く壮大なヒーローサーガを形成した。

 そんな『仮面ライダー』が、1971年の放送開始から今年で50周年を迎えるのを記念して、東映チャンネルでは、昭和仮面ライダーの劇場版全13作を4Kリマスター版で2カ月連続特集放送する。その放送を前に、原点である仮面ライダー1号、本郷猛役の藤岡弘、に『仮面ライダー』の過去、未来、そして自身が考えるヒーロー像について語ってもらった。(のざわよしのり)

共に歩んだ大先輩を思い出し、胸が熱くなる

――今年はいよいよ『仮面ライダー』の放送開始から50周年となります。50周年を迎えた藤岡さんの率直なご感想を教えて下さい

藤岡弘、(以下、藤岡):いやぁ~……50年も経ってしまったのかと、びっくりしています。今でもまだ、撮影当時を鮮明に思い出すことがありましてね。自分の中では、現在も戦いの日々は続いています。だから50年経ったといっても、気持ちの上では何ら変わりはないというか、今でも日々チャレンジ精神を大事にしながら生きています。あっという間の50年。早いですね。

――4月に東映チャンネルで劇場用作品『仮面ライダー対ショッカー』(1972年)と、『仮面ライダー対じごく大使』(1972年)の4Kリマスター版が放送されるそうですね。とても映像が綺麗になっているということですが。

『仮面ライダー対じごく大使』(c)石森プロ・東映

藤岡:はい、先に映像を観せていただきました。血が騒ぐというか、非常に楽しませてもらいました。ただひとつ、懐かしい先輩の方々が今はもういらっしゃらない。それがとても残念でした。死神博士の天本英世さん、地獄大使の潮健児さん、それから立花のおやじさんこと小林昭二さん、そういった共に歩んだ大先輩を思い出し、映画を観ながら胸が熱くなりました。アクションを担当した大野剣友会の皆さんをはじめ、多くの人に支えられて当時の私があったわけです。生田スタジオに多くの人の力が集まって『仮面ライダー』は出来上がった。私はただ、その象徴的な存在であり、そういう人たちとの出会いによって一緒に活動させていただき、そのチャンスを頂いたことには感謝しています。

――『仮面ライダー対ショッカー』は、藤岡さんが大怪我から復帰されて間もない頃に撮影した映画ですが、監督はテレビシリーズも撮られている山田稔さんですね。

『仮面ライダー対ショッカー』(c)石森プロ・東映

藤岡:山田監督には大変なご心配をおかけしました。私が自分の未熟さもあり(オートバイ事故で)生死の境をさまよっていた頃、山田監督が一番心配してくださったんじゃないでしょうか。私が怪我から復帰したときも喜んでくださいました。初めての主演作というチャンスの中、最高の状態から(事故で)最悪の状態に落とされて、そこから這い上がるために必死の戦いがあった。肉体的にも内面的にも凄く葛藤があった。その時の体験が、今の私を作っていると思いますね。本当に私自身の転換となった時期です。

――藤岡さんが怪我で休まれている期間、佐々木剛さんが2号ライダーとして活躍し、その変身ポーズも人気の的となりましたが、本郷の変身ポーズも映画で初披露ですよね。

藤岡:佐々木君が凄いなと思うのは、あの変身ポーズね。何のてらいもなく堂々とやってのける。あの変身の時に見せる切り返しの良さ。彼が変身ポーズの先駆者となって、私に見本を示してくれた。その時のことは今でも忘れません。

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