ある家族の肖像を描き、私たちの1年を総括 藤原竜也VS柄本明の“劇薬”舞台『てにあまる』の衝撃
激動の1年となった2020年を、なんとか終えようという12月も下旬。この年の瀬に、思いがけず劇薬を口にしてしまった。東京芸術劇場・プレイハウスにて上演中の舞台『てにあまる』のことだ。本作は、劇団サンプルの松井周が脚本を書き下ろし、柄本明が演出を担当するうえ自身も出演するもの。藤原竜也が主演を務め、高杉真宙、佐久間由衣らの4人が舞台いっぱいに火花を散らし合っている。
本作を端的に言い表すならば、“家族の物語”だ。家族モノというジャンルにもいろいろあるが、ほのぼのとした家族の肖像が描き出されるわけではない。先に述べたように“劇薬”ともいえるものである。物語は、ある日、ひとり暮らしをしている老人(柄本明)のもとへ、一人の男(藤原竜也)がやってくる。この男はベンチャー企業の経営者であり、彼は老人を家政夫として自宅に住まわせ雇うことに。男の周囲には、彼を慕う部下(高杉真宙)がおり、そして、彼と離婚をしたがっている別居中の妻(佐久間由衣)がいる。男は自ら老人を迎え入れたにもかかわらず、この老人の介入によって、すべてが大きく歪みはじめていくことになるーー。
本作の主軸であり見どころとなるのは、なんといっても、“藤原竜也VS柄本明”という演劇人が対立し溶け合う構図。想像すれば分かるだろう、劇場にどれだけの緊張感が張り詰めていることか。本作は、これから地方公演も含めて長く続く。2021年の観劇初めとして楽しみにしている方も多いのだろうから、核心に触れてしまうようなネタバレは避けたい。
主演を務める藤原が“演劇の申し子”ともいわれていることを知る方は、どれくらいいるだろうか。映画作品などで演じるアクの強いキャラクター像が独り歩きしている感が否めないが、やはり藤原の真骨頂は舞台の上にこそある。舞台上で躍動する生の藤原を筆者が目にするのは、2018年の『ムサシ』以来のことだった。やはり、彼がその第一声を発しただけで、舞台上にその姿を現しただけで、つい涙がこぼれてしまう。彼が登場することによって変化する劇場空間を知覚することで、いわば生理現象のように。
本作で藤原が演じる男は、とあるトラウマを抱え、それに苛まれている存在。社会的には成功していようとも、その内面は不安定で、藤原は緩急自在な話芸で表現する。ときにダラダラ言葉を垂れ流し、ときに他を圧する勢いでまくし立てる。男は統合失調症のような状態にあり(あくまで筆者の主観)、薬を服用せずにはいられない。それを体現するかのごとく、藤原の演技もグルグルと切り替わる。まるでなにかに取り憑かれているようで、見ていて思わず戦慄が走ってしまう。
とはいえ、それは演じる自分自身を見失ったり、溺れたりするようなものではけっしてない。“緩急自在な話芸”と先に記したが、彼の発話における“演劇的な間”は心地が良い。もちろん本作の場合にかんしては、セリフ自体は聞くに堪えないものが多い。だが、聞き惚れてしまうのだ。当然ながら計算されたものなのだろう。